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第3話 やらしい悪癖ヒキコモ・ル・ネサンス


ヒキコモ・ル・ネサンス 山田ルイ53世 著

ヒキコモ・ル・ネサンス
山田ルイ53世 著

中学受験合格で神童に上り詰めた山田少年は、とある事件をきっかけに、引きこもり生活に入ってしまう。そこから、大検に合格して立ち直るものの、失踪、借金生活と、再び負のスパイラルに陥る。が、紆余曲折を経て見事「復活」する。第1章では、引きこもりに至る前の波瀾万丈の神童ライフを辿っていこう。。
 

第1章 神童の予感

【第3話 やらしい悪癖】

「産地偽装」で作られた、そんな詩がこちら。

『僕のランドセル』

ぼくのランドセルはおにいちゃんのおふるだ
おにいちゃんがつかったからペッタンコだ
ぼくもだいじにつかって
おとうとにあげる

実にいやらしい。
特に、意図的な平仮名の多用は、やらしさ満載である。
当時、大人向けの本も大量に読んでいたので、小学2年生にして「薔薇」も「醤油」も漢字で書くことができた僕である。
もちろん、「僕」、「兄」、「古」、「使」、「大事」なんて漢字はとっくに習得済みだった。

ただ、実際、僕が使っていたランドセルは、兄のお下がりだった。そこに嘘はない。
元々は黒いピカピカのランドセルだったはずなのに、全体的に色落ちして灰色になっていた。
あちこち傷だらけで、おそらく、何度も座布団代わりにでもしたのだろう、型崩れが激しく、薄っぺらく、「ペッタンコ」になっていた。
一体、どんな荒々しい使い方をすれば、これほどの「風格」をランドセルごときが纏えるのか。それほどにボロボロだった。
当然、本当は、そんなボロボロのランドセルが嫌だった。それを背負って学校に行くのが、恥ずかしくて仕方がなかった。
小学校入学時、ピカピカの1年生なわけで、他の皆は、ふっくらとして、ボリューミーな、「焼き立て食パン1斤」のような綺麗なランドセルを背負って登校するのに、自分のそれは、「カビの生えた8枚切り食パン1枚」くらいの感じだった(実際にカビもちょっと生えていた)。小学1年生でありながら、『キャプテン翼』の日向小次郎の感じというか、『プロゴルファー猿』の雰囲気というか、とにかく「さすらいの小学生」と表現してもそれがしっくりくるくらいの、あたかも数々の修羅場をくぐりぬけてきたような、壮絶な武者修行を経て来たような、凄味を漂わせていた。周りの子供達もドン引きしていたのだろう、僕から距離をとっていたくらいだった。
そんなわけだから、
「なんで自分だけ、こんなランドセルなんだ」
という不満も、無意識に込めて書いていたのかもしれない。
もちろん、そんな変化球のSOSに気付くような、デリケートな親ではなかった。
最近親に聞いたところ、さすがに僕のランドセルが、ボロボロで汚すぎると気になっていて、そろそろちゃんとしたのを買ってあげようとなっていたらしいのだが、この僕の詩を読んで、
「こんな風に思ってくれているのか……」
と感動し、子供の気持ちを尊重して買うのをやめたと言っていた。
結局、小学校の6年間、そのボロランドセルを背負う羽目になった。
ちなみに僕より5歳年下の弟は、ピカピカの新しいランドセルを買って貰っていた。
策士策に溺れる……教訓である。
我ながらいやな子供だった。
この「やらしい悪癖」は、6年生になっても、なお健在で、卒業文集でも、他の子供達は、
「楽しかった運動会」、「修学旅行の思い出」、「将来の夢」等々、本当に、素朴で、純粋で、小学生らしい作文が掲載されている。
そんな中、「格好つけたい」、「賢く思われたい」、「特別な存在感を出して行きたい」、そういう“欲”が強かった僕は、一人だけ、「卒業」とも、「思い出」とも、全く関係のない作文を書いている。
タイトルは、「戦争と僕」
小学生の頃には、すっかり「やらしい人間」に仕上がっていた。

 
山田ルイ 53世 山田ルイ 53世
本名 山田順三(やまだ じゅんぞう)。 お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。 兵庫県出身。地元の名門・六甲学院中学に進学するも、引きこもりになり中途退学。大検合格を経て、愛媛大学法文学部の夜間コースに入学。その後、大学も中退し上京、芸人の道へ。1999年に髭男爵を結成。2008年頃よりTVにてブレイク。現在は文化放送「ヒゲとノブコのWEEKEND JUKEBOX」、「髭男爵 山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」など幅広く活躍中。