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クウネル友の会
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ひとりでポルカ
第27回
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こんにちわ。クウネルの編集兼執筆してます鈴木るみこです。
タイトルにあまり意味はないのですが、どうやら私はこんな感じらしいのです。
オレ様によると、私こと「るみさん」はとても自分勝手で能天気。
なんとか応酬したいけれど、実際にそうかもしれないからシャッポ(降参)です。
私としては、みんなして楽しく踊っているつもりなのになあ。
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探し人。 マリコさんの友達のヨシダさん!  あなたを探しています。

2004年7月のハワイ特集号「アロハー。」に「マリコさんはママ・サーファー」という記事を掲載しました。 主人公のマリコ・ジョーンズさんは ドイツ人のお父さんと、日本人のお母さんの間に生まれ、 フリーのツアーガイド兼日本語通訳の仕事をしながら 大好きなサーフィンと音楽に明け暮れる生活をしていました。
大工の夫がひとりで建てた家には、電気も水道も鍵もない。 いまだ未完成で、土台がむきだしに見えているリビングで色褪せたアルバムを見せてもらいながら、 懐かしい日本での思い出話を聞いたことを覚えています。

マリコさんががんを患っていることは最初から知っていました 自己紹介の中で、まるで職業でもいうように屈託なく、「私、がんなの」というのです。「病気はハッピーでいないと治らないでしょ。だから歌ったりサーフィンしたり、病気を口実に楽しいことをいっぱーいしてるの。うふふ」 それからの日々は、一緒にいきつけのビーチに行ったり、おいしい秘密のハンバーガー屋さんに行ったり、 仲良しのウクレレ職人のマイクの家に遊びに行ったり。マリコさんの宝物である4人の子供たちにも会いました。
末っ子のケンジ君以外はみな独立して離れて暮らしていますが、 マリコさんを心配して、しょっちゅう会いに帰ってくるのです。ロックシンガーのアイザックに教師をめざすフリーシア、みな、とてもやさしい 人たちでした。 マリコさんは、40年サーフィンを続けて、波にのらなかったのは 彼らがお腹のなかにいたときだけだそうです。
そして全員が自然にサーファー になりました。「自分も両親にそうさせてもらったように、彼らにもやりたいことをやらせているの、 これだけは守るようにとおしえたのは、人を愛し、敬う、アロハの心だけ」いつでも、どこでも、マリコさんはとびきりに明るいので、病気のことをついつい忘れ、無神経に未来についての質問をしてしまったりもしました。するとマリコさんは、暗い顔もせずににっこりとこういうのです。「私は昨日とか明日とか、ないの。今日、今日、今日のつながり。今日、いま、しあわせなことが大事」そして、これを書いている今日は4月17日です。 さきほど編集部に、1本の電話がありました。
2004年の記事を読んでマリコさんの主催するハワイツアーに参加し、その後の4年間、ずっと親交を深めていたというヨシダさんという読者の方からです。それはマリコさんが亡くなったという知らせでした。 電話を受けたのが事情のわからぬものだったため、 くわしいことも聞かず、ただ、そのメッセージだけが編集部に残されていました。 電話をくださったヨシダさん、これを読んだら、どうか、もう一度ご連絡ください。 あれからのマリコさんのお話が聞かせていただきたいので。取材の最後の晩、マリコさんの親友たちが集まって、彼女の大好きなビーチでみんなで歌をうたいました。もしも、ヨシダさんからの知らせが本当なら、あのとき集まった彼らも、いまは悲しみに沈んでいるのでしょう。あのときの夕暮れの海辺の空気は私の身体にしみこんで、取り出そうと思えば、いつでも自由に取り出してうっとりと味わうことができます。
マリコさんたちが演奏する音楽に合わせて、ゆらゆらとフラを踊りだした知らない女の子。裸足で、砂のうえで、月に両手をさしのべながら。それを見ているうちに、あまりに自然に踊りだしてしまった自分。あれがフラの本質なんだろうなあと、いまも思います。ゆらゆら、ゆらゆら。ほんとうにすてきな時間でした。


kunelくん

 

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