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第10回 伊藤比呂美さんが「独りだち」した日。


フナヤマの言葉さがし

初めまして、船山と申します。一読者として愛読してきた『クウネル』編集部で働くことになりました。かなり年のいった新人ですが、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。当コラムでは私が『クウネル』の取材の席で聞いたり、本や雑誌、新聞で読んだりした言葉、忘れられない文章やひと言をぼちぼちと紹介していければいいな、と思っています。

 

第10回
伊藤比呂美さんが「独りだち」した日。

詩人の伊藤比呂美さんの『父の生きる』という本を読みました。伊藤さんが熊本で独居する父親を介護し、その最期を看取った記録です。
 
伊藤さんは3人の娘の母親。東京で生まれ育った伊藤さんですが、最初の結婚のときに、当時暮らしていた熊本に、東京から両親を呼び寄せました。しかしその結婚は解消され、自身はだいぶ年上のアメリカ人と再婚して子どもと共に渡米、両親だけが熊本に残ったのでした。
 
自宅のあるカリフォルニア、仕事の関係でしばしば訪れる東京、老親が住む熊本……ヘルパーやケアマネージャー、医師や友人たちに助けられながら、3つの場所を頻繁に行き来して、伊藤さんの遠距離介護は続きました。その後、原因不明の病気で母は寝たきりになり、5年間の闘病の末に亡くなります。父は熊本で一人暮らしになりました。
 
伊藤さんは毎日、海を隔てたアメリカの自宅から時差を見計らって80代も後半の父に電話をして様子を伺います。熊本に戻れば、だんだん衰えて外出も家事もおぼつかなくなった人のテレビ鑑賞に付き合い、食事の世話をし、トイレや入浴の介助をしました。
 
「あるとき私が、仕事が終わったよと言いましたら、父が『おれは終わんないんだ』と言いました。/『仕事がないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとうに。なーんにもやることない。なんかやればと思うだろうけど、やる気が出ない。いつまでつづくのかなあ』/(中略)/『だけど退屈だよ。ほんとに退屈だ。これで死んだら、死因は「退屈」なんて書かれちゃう』」
 
自身にも家があり、忙しい仕事があり、まだ面倒をみなくてはならない娘がいる。老年の哀しみを聞いている伊藤さんもつらい。国際電話で延々と愚痴をこぼす父に娘が「それは聞くのがとてもつらいから、言うのやめようよ」と言うと父は「『ときどき愚痴こぼしたっていいじゃないか、あんたしか言う相手いないんだし』とののしるような口調で言う」のです。はー、誰にでも思い当たる実の親子ならではの葛藤の姿です。
 
「人がひとり死ねずにいる。それを見守ろうとしている。いつか死ぬ。それまで生きる。それをただ見守るだけである。でも重たい。人ひとり死ぬのを見守るには、生きている人ひとり分の力がいるようだ。」
 
そんな介護の日々の果てに父親は逝きました。
 
「親を送った。送り終えた。/今までいろんなことがあった。思春期のやるせない思いや、結婚したり離婚したりの苦労、子育ての苦労も。忙しかった。息つく暇もなかった。いったい何のための苦労だったんだろうと思う。/今は、ぽかんとしている。薄曇りの空が果てしなくつづいているような風景だ。これが独りだちということか。はじめてここに来た。ずっと地続きであった。気がつかなかった。今もずいぶん足元はもろい。その上薄ら寒い。でも、なんだかやっと、おとなになり終えたような気がした。今まで見てきたものと、これから見るものは、違うような気がした。」(引用はすべて光文社刊『父の生きる』より)
 
50代も後半を迎え、詩人としても、3人の娘の親としても充実した日々を送ってきたに違いない伊藤さんが、親を送ってやっと「独りだち」する。老いゆく親の切なさや怒りを受け止めながら、人はやっと「一人前」に育つということなのか…。
 
恋愛、結婚、出産、子育て、更年期、と女性の人生の折々の悩みや喜びを詩の言葉に昇華し、表現してきた伊藤比呂美さん。親の介護と送り、その切実な体験を越えてたどり着いた新しい人生の局面、成長への可能性を書き示してくれた本。どんな年代にとっても心動かされる言葉の連なりだと感じました。