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第23回 ニューメキシコのタコスと沖縄のタコライス


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僕はカメラマンのマドロス陽一こと長野陽一と申します。この度、5冊目の新刊『長野陽一の美味しいポートレイト』(HeHe) という料理の写真集を出版します。その中にはku:nelで撮り続けてきた料理写真もたくさん掲載されています。それらは美味しさだけではなく、料理を通して取材対象者の暮らしやストーリーを伝える写真たちです。島々のポートレイトを撮るように料理も撮り続けてきました。そして料理写真はポートレイトだと考えました。それを“美味しいポートレイト”と名付けます。ここでは旅した島で見たこと感じたことや、写真の話をしたいと思っています。

http://yoichinagano.com/

 

第23回
ニューメキシコのタコスと沖縄のタコライス

師走ですが……。
マドロスは今月はじめにアメリカのニューメキシコ州の田舎街に行ってきました。 ニューメキシコ州のイメージと言えば、西部劇でよく見る赤く乾いた大地や灼熱の太陽ですが、12月のニューメキシコは雪が降っていました。

気温は日中は5度、日没と同時にマイナスへと冷え込み、レンタカーに置きっぱなしにしたミネラルウォーターが翌朝にはガチガチに凍りついてしまう程、寒かったです。 荒野には雪が積もり、真っ白な地平線にどこまでも続くハイウェイが珍しい光景なのでしょうか、テレビのニュースになってました。

そんな12月のニューメキシコ州をで長距離ドライブしました。観光名所でもない村々を訪れ写真を撮る2週間の旅。短いようで長い日々でした。長く感じた原因のひとつにアメリカの食事が合わなかったことがありました。合うも合わないもフリーウェイの出口を降りたところにある(日本で言うところのサービスエリアとでも言いましょうか)レストランと言えば、大手ハンバーガーなどのファーストフードチェーン店(それをこの国ではレストランと呼んでいた)がほとんどでした。 文句を言うつもりは決してありません……。ハンバーガーは好きだけれど、さすがに毎日続くとねぇ……。パンや芋が主食のアメリカ、お米が食べられないのはなにより辛いものです。世界中どこにでもあると思っていた中華料理店がニューメキシコ州にはほとんどありませんでした。そんな中、救いの神が現れました。それはメキシコ料理。

メキシコとの国境が近く、多くのヒスパニック系の民族が暮らすこの土地ではメキシコ料理のレストランやタコベルというタコス(トウモロコシの粉を薄焼きした生地で肉やレタスなどの具を包んだメキシコの代表的な料理)のファーストフード店が数多くありました。

そのタコスにかけるサルサ(唐辛子、トマト、タマネギをすり潰したソース)が美味しくてマドロスは病みつきになりました。毎日、タコスかブリトーを注文していました。タコスやブリトーが食べたかったわけではなく、本当はサルサが食べたかったのです。

それでも食の欲求が満たされる事はありません……。『だってお米の国の人だもの』って三田佳子さんが昔CMで言っていたことやニューヨークヤンキースの松井選手がお米を食べないとバッティングの調子が悪いとスポーツニュースのインタビューで答えていたことを思い出し、日本のお米が食べたくて仕方ありませんでした。 お米とサルサを一緒に食べられたらいいなぁとタコスをいや、サルサを食べながら思い、そして気づきました。

それって沖縄のタコライス(タコライスとはその名のとおり、ご飯の上にタコスの具をのっけたもので、その上から好きなだけサルサをかけて頂く、沖縄の人気メニュー)ではないか。日本のお米さえあれば、タコライスと同じとは言えないまでも、近いものがニューメキシコで食べられるのではないかと。

サルサとお米のことで頭がいっぱいになって、しばらくは帰国したら真っ先に食べたい日本食がタコライスという気持ちになってしまいました(そばやうどん、何だってあるのに)。 すると不思議なことに、旅の途中、沖縄での撮影依頼がきたのです。 もちろん了解の返事をして、先日沖縄本島に行ってきました。

そしてタコライス発祥の地と言われている金武町まで足を伸ばし、ついにタコライスを食べたのです。でもお米とサルサをあんなに一緒に食べたいとおもっていたのに…… 沖縄のタコライスを食べているとなにかが違うなとおもいまして…… ニューメキシコのタコスが無性に食べたくなったのでした。