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食事革命 vol.2 革命前夜、食生活の歴史

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vol.2 革命前夜、食生活の歴史

世界一のサイドバックになる目標を叶えるために、食を武器にする。そう心に決めてから行動に移すまでにあまり時間はかからなかった。やると決めたからにはとことんやる、というのが僕の身上だ。
食事に対して実践してきた小さな革命は着実にカラダに変化を起こし、自分でも驚くほど大きなパフォーマンスの底上げに繫がった。

それをこれからひとつひとつ検証していく前に、まず僕の辿ってきた食の歴史を語っておこう。食事に関して決して意識が高いとは言えなかった僕のような人間でも、食を武器に変えることができる。そのことを知ってもらいたいからだ。

僕が生まれたのは愛媛県の三芳という場所だ。ゆるやかな丘陵地帯が広がるのどかな土地で、幼い頃からガキ大将だった僕は伸び伸びと育った。僕は3人姉弟だが、その3人を含む大家族で暮らし、毎日の食卓をみんなで囲み、わいわい会話をしながらの食事は、とてもにぎやかで楽しかった思い出がある。

ところが、小学校3年のときに僕ら姉弟は母の実家のある西条市に引っ越すことになった(現在は三芳も西条市の一部)。

現在は外食ではなく自宅で食べる機会が多い。この日はサラダにエキストラバージンのオリーブオイルをかけて。
現在は外食ではなく自宅で食べる機会が多い。この日はサラダにエキストラバージンのオリーブオイルをかけて。

瀬戸内海に面した西条市は、石鎚山の伏流水があちこちに湧いている名水で有名な土地だ。水がおいしいということは当然、野菜も果物も米もおいしい。目の前の瀬戸内海で獲れる新鮮な魚も文句なく美味という贅沢な条件に恵まれていた。

ただし、この頃の長友家の食生活はその恩恵に与っていたわけではない。母親が女手ひとつで3人の子どもを育てるために朝から晩まで働いていたからだ。

一日働きづめの母に食事を作っている時間などない。仕事の合間に弁当屋でお弁当を買って帰宅し、すぐにまた仕事に出かけていくという毎日の繰り返し。3人の子どもたちが晩ご飯をコンビニ弁当で済ませることも少なくなかった。たまに母が早く帰宅する日にみんなでファミレスに行くのが唯一の贅沢。

もちろん、母の苦労は理解していたし、今も昔も感謝の気持ちを忘れたことはない。けれど当時、栄養バランスを語れるレベルの食事ではなかったことは事実だ。

中学まではそんな食生活が続き、高校は西条市の家を出てサッカーの強豪校、東福岡高校へと進学した。高校時代の3年間は寮生活。食堂で温かい食事はできるようになったものの、当時の僕は熾烈なレギュラー争いで生き残ることに必死。睡眠と食事の時間を削り、勉強とキツい練習に明け暮れる日々だった。

とはいえ、カラダの小さい僕はフィジカルを鍛えようという意識を常に持っていて、カラダによくないと耳にしたものは口にしなかった。たとえば、炭酸飲料水、インスタント食品、カップラーメンにファストフード。今気づいたが高校生くらいの男子の大好物ばかりだ。

高校卒業後は上京し、明治大学へと進学。すでに上京していた姉の麻歩と同居することになった。小さい頃から簡単な食事を弟たちに作ってくれてはいたが、このときから姉が料理を作って僕が食べるというルーティンができあがった。

僕の好物や好みの味付けをよく知っている姉の手料理は、口や舌にこよなくフィットした。だが、この大学時代に大きな分岐点がやってくる。突然の椎間板ヘルニアの発症とミッドフィルダーからサイドバックへの転向

治療とリハビリに努めながら体幹トレーニングに出会ったのはこの頃だ。同時に規則正しい食生活を心がけたり、さまざまな食材をバランスよく組み合わせることも意識するようになった。それまでよりも品数の多い食事メニューを姉にリクエストするなど、ヘルニア克服のためにできることには何でも取り組んだ。

 

イタリアの外食で
体重と体脂肪が増。

その努力がようやく実り、復帰を果たした僕は、FC東京の特別指定選手となり、やがてプロとしての第一歩を踏み出した。FC東京に所属していた約2年半は寮生活だ。食事はプロの調理師が作る栄養バランスが考えられたものを毎日口にするようになった。

ここまでが僕のざっくりとした食の歴史の国内編。2010年、イタリアのチェゼーナというチームに移籍を果たした後、国外編がスタートする。

とはいえ、イタリアのチームには寮などというものはない。誰かが料理を作ってくれるはずもなく、しかも僕自身まったく料理を作れない。自慢ではないが、ご飯ひとつ炊いたことのない人間だ。

というわけで必然的にひとりで外食ばかりを繰り返すことになる。もちろん食事は毎日のようにイタリアン。プリモピアットでパスタやリゾットを食べ、セコンドピアットで肉や魚を食べる。もともとイタリアンは大好物だったので、おいしさのあまりかなりの量を食べていた。ときどき胃がもたれることはあったけれど、飽きることはなかった。

こんな食事を繰り返していたおかげで、チェゼーナにいた半年間で体重も体脂肪もしっかり増えてしまった。我ながら、あんな食事をよく毎日続けていたものだと思う。これが、僕のイタリアでの食生活の事始め。革命前夜のことである。


フィジカルを鍛える
カラダが小さいという弱点を補って余りある走力とスタミナを磨くため、独自に筋トレを取り入れた。
サイドバックへの転向
明治大学1年生のとき監督に走力、スタミナ、1対1の勝負強さを見込まれ、サイドバックに起用される。
体幹トレーニング
コアを覆う腹筋、背筋、腹横筋などを鍛えるトレーニング。長友選手が取り入れたことで一躍話題に。



YUTO NAGATOMO

●ながとも・ゆうと 1986年生まれ。FC東京でプロサッカー選手として活躍後、イタリアへ渡り、現在インテル・ミラノに所属。キリンカップサッカー2016日本代表に。

構成/石飛カノ 撮影/中島慶子 監修/石川三知(Office LAC-U)