おふくろさんよ 語り継ぎたい日本人のこころ(川内 康範 著)
日本人よ、古きよき「こころの」風景」を取り戻せ!これは川内康範が私たちに宛てた血涙の「遺書」である。
●前書きより
……「憎むな、殺すな、粛清せよ」は、赦さぬことが赦すという反語なのだ。私の生きざまのけじめでもあった。この事件をきっかけに私は人の情けや無償の愛を、今の世代に再び伝えたいと思った。愛する子ですら親に手を挙げる哀しい時代である。日本人が失ってしまった古き良き心を、これからを担う若者たちに遺したいのだ。本書が「こころの書」として、日本人の誇りを取り戻す道標となれば幸いである。……
●後書きより
産業革命以後、経済発展やバブル、IT革命を経験した私たちの生活は、とても豊かになったと云われている。はたしてそれは本当なんだろうか。
人が己を主張するあまりに、人が人を平気で傷つける時代である。人が己の利権を守る為に、あらゆる手段を用いて邪魔者を排除する時代である。
これはアメリカ的自由と世界平和の方便が、あまりにも蔓延しすぎた結果なのだ。意図的な世界制覇の欲望がもたらした、歪みだと言えるだろう。
弱きに手を差し伸べる、日本人が大切にしてきた伝統的精神文化は、その価値思想の下にあっては、もはや無用の長物以外の何者でもないのである。
はたして私たちはそれでいいのだろうか。
隣人のために命をかけた志があったからこそ、今の私たちへとつながり、大和民族としての歴史が在るんじゃなかろうか。時には、損得勘定だけではない、無償の愛を正義の名において遂行する心が求められるのだ。
失われつつある日本人の精神を、崩れ落ちつつある国家の骨格を、敢然とした態度で正気に戻させる新しい時代の担い手が、今まさに必要とされているのである。
混迷する時代の流れのなかで、日本人が世界に示せさなければならないものは、「やすらぎ」の精神である。
真の平和を復活させるためには、私たちは多くを求めず、ただ与え、かつ、共に歩もうと手を差し伸べるのだ。倒れそうな者がいればそっと背に手を回し、黙って支えればいい。
さて、あとがきが長くなってしまったが、この本は八十七年の人生を駆け抜けてきた私の、熱い祈りである。ちまたの雑犬、川内康範の「生の証」としてここに記す。
●目次
おふくろさんよ
おふくろの愛は、無償の愛である
見返りを求めない
軽蔑するな、いじめるな
喧嘩は一人で行け
憎むな、殺すな、赦しましょう
月光仮面対かい人21面相
誰よりも君を愛す
愛は「情死」である
私を国士と呼んだ偉大な親父
誇りのある国へ
不戦への祈り
真の政治家の資質
八月十五日がもつ重要な意味
「日本昔ばなし」でやすらぎを
石が浮かんで、木の葉が沈む
おれがやらずに誰がやる!
銭の花より情けの花
昭和ロマネスクの復活を!
歌は人の志を運ぶ船である
ほか35