その夜、妻に最期のキスをした。(山口 智久 著 横山 文野 著)
●内容紹介
本書は、ある夫婦のブログから誕生した。
「Casa Esperanza」(希望の家)と題されたこのブログには、32歳で肺がんと診断された妻、横山文野さんと、新聞記者である夫、山口智久さんの、2002年から2005年まで3年間に及ぶ闘病生活が克明に綴られている。 発病当時、文野さんは長年の研究生活を経て、跡見学園女子大学の専任講師に赴任したばかりだった。その後の精密検査で、病状はすでに腰骨への遠隔転移があるステージⅣのがんと判明。手術は不可能となり、抗がん剤による化学療法と、放射線治療による闘病生活に入る。“なんでがんなんかになったんだろう”“私の研究者としてのキャリアはどうなってしまうのか”“もう子どもは持てないのだろうか”不安と後悔がせめぎあい、治療の痛みと副作用が続く。それでも文野さんはがんと闘い、希望を捨てまいとしていた。そのかいあって、1年後には小康状態を得、文野さんは教壇に復帰を果たす。しかしそれもつかの間、がんは進行をとめることなく、脳と肝臓に転移していた。さらに骨転移が広がり、治療の痛みと入院のストレスからうつ病を併発する。「精神状態がとても悪い。どうしていいのかわからず、泣いてばかりいる。とても苦しい」ついにはブログを更新することもできなくなってしまった文野さん。そんな文野さんを支えたのは、夫の智久さんをはじめとする家族だった。それからまもなく、文野さんは当時の新薬、イレッサと出会う。それは劇的な効果を上げ、原発巣は一時的に縮小。精神と病状が安定した文野さんは再度の職場復帰を果たす。「正直、いつまたがんが暴れだすかと思うとこわい。周りにも迷惑をかける。でもおびえてばかりはいたくない。今日から私は専業のがん患者をやめる」 しかし安息の時間はまたしても短かった。がんは脳に再発、さらに脊椎へも転移する。2005年7月、肝機能の低下により容態が悪化した文野さんは緊急入院。智久さんは、文野さんが勇気をもらい、そして与えてきたブログで呼びかけた。「妻が大好きな青い花の写真を張ってください。みなさん、パワーをください」文野さんが逝ったのはそれから8日後のことだった。「不思議だ。僕はまだ信じている、息を吹き返すのではないかと。看護師たちが体をきれいにしてくれている。こうしている今も、僕はまだ信じている」
●著者紹介
横山文野:宮崎県生まれ。東京大学卒業後、行政学の研究者を志し、東大大学院へ進学、その後、英国ヨーク大学に留学。30歳のとき、公共政策を女性学の視点で分析した博士論文が注目を集め、それがきっかけで2002年4月、跡見学園女子大学マネジメント学部の専任講師となる。同年9月、肺腺がんが認められる。2005年7月逝去。享年34歳。2006年、跡見学園女子大学では文野さんの死を悼み、「横山文野賞」が創設された。
山口智久:長崎県生まれ。東京大学卒。朝日新聞記者。文野さんとは英語劇のサークルの同級生として出会い、9年の交際期間を経て結婚。現在は、主に環境関係の取材で多忙な毎日を送っている。