高校野球を変えた男 原貢のケンカ野球一代 息子・原辰徳、孫・菅野智之に刻み込まれたチャレンジ魂(松下 茂典 著)
「野球も人生も勝たないかんばい」
二度の全国制覇を成し遂げたケンカ野球は、合理的な発想と不屈の情熱に裏打ちされていた。
伝説の野球人の破天荒な生き様。
原辰徳、菅野智之の野球の原点は、すべて「彼」だった!
「人生はチャレンジだ。堂々と前に進め」と檄を飛ばし続けた男の半生が、14時間のロングインタビューで、いま蘇る!
原 貢(はら・みつぐ)
1936年佐賀県生まれ。東海大学野球部名誉総監督。1965年、初出場の福岡・三池工を率いた夏の甲子園大会で全国制覇。5年後には東海大相模の監督として再び全国制覇を成し遂げる。1977年、東海大学野球部監督に就任。首都大学リーグ通算13度の優勝を達成。2014年5月29日、78歳で逝去。
目次
第1章 ケンカ一代
お別れの会
野球も人生も勝たないかんばい
辰徳がお手本にする“大牟田流”
貢が菅野に説いた「勇気」とは
第2章 鬼父
すべては“夜這い”から始まった
玉のような男の子
ケンカの仕方
ケンカの実践
三池工監督
第3章 凱旋パレード
炭塵爆発とキノコ雲
雨にも負けず
ヤマの子がウミの子に勝った
松前重義
涙の大牟田駅プラットホーム
第4章 鬼監督
辰徳、右足首複雑骨折
“鬼母”を演じたカツヨ
“父子鷹”の甲子園デビュー戦
NHKの困惑
狂気の千本ノック
19対0で甲子園切符
おれもつらかったんだぞ
第5章 原風景
佐賀県神埼郡三田川村
特攻隊を見送って
3球勝負のエース
権藤博と美しい姉たち
甲子園の夢破れて
根本行都と飛田穂洲
同根の弟子だった辰徳と松井秀喜
大塚晶文
第6章 「おーちゃん」と「智」
詠美の子をドラフト1位で巨人に
野手向きじゃなかった「智」
小山正明のように
菅野は巨人がダメなら
日本一幸せなお爺ちゃん
第7章 受け継がれたケンカ魂
最後の東京ドーム
倒れた貢
菅野が捧げたウイニングボール
別れの日
熱球院釋貢勝
あとがき