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第8回 伊東四朗さんの「お天道様は見ている」


フナヤマの言葉さがし

初めまして、船山と申します。一読者として愛読してきた『クウネル』編集部で働くことになりました。かなり年のいった新人ですが、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。当コラムでは私が『クウネル』の取材の席で聞いたり、本や雑誌、新聞で読んだりした言葉、忘れられない文章やひと言をぼちぼちと紹介していければいいな、と思っています。

 

第8回
伊東四朗さんの「お天道様は見ている」

2015年が明けました。第二次大戦敗戦から70年、阪神淡路大震災から20年、いろいろと節目の多い2015年は、さてどんな年になっていくのか、自分はどうこの1年を過ごしていけばいいのか。今年の目標など、決められた方も多いかと思います。

今年78歳になる喜劇役者の伊東四朗さんは「正月に今年の抱負を聞かれるのが苦手です」とインタビューに答えています(朝日新聞2015年1月8日)。
「だって何もありませんから。他の人が考えてくれた仕事を『私にできるのかな』と思いながら、やってきただけです」

「『こういう役を演じたい』などとアピールをしたこと」もなければ、「公開番組のフィナーレなどで出演者が勢揃いする際は、出来る限り後列に回るよう」なタイプだという伊東さん。芸能界は一見華やかではありますが、浮沈が激しく、実力以上に運がものごとを左右する世界です。「レッスンをしたり、勉強したりすれば、必ず売れるというわけでもありません。ベテランでも『もう大丈夫』ということはない」のです。

そんな厳しい場所で、人づきあいも決してよくない自分が、長年第一線で仕事をしてこられたのは「お天道様は見ている」からだと伊東さんは言います。まだ無名の新人だった伊東さんの「からだとせりふのタイミング」を面白いと新聞で推してくれた映画監督。「電線音頭」というシュールなギャグが評判でそればかりやっていたときに、第一次大戦をテーマにした重厚な歴史ドラマに役者としてキャスティングしてくれたプロデューサー。どんな仕事をしているにせよ、伊東さんをじっと見ている人がいた。仕事だけでなく、生き方、身の処し方を見ている目もきっとあるのです。

「人生で途方にくれた時、逆境とは思わず、試練と考えました。それを乗り越える絶対の答えはない世界だから、どんな仕事も誠意を尽くし、悔いを残さないように、と考えてきました」
「お天道様は見ている」というのは「考えてみると、怖い言葉だと思うんです。『人は死ぬまで仕事でも生き方でも手を抜けないよ』ということなんでしょうから。」

伊東さんの、自分を外側から見て笑っているような、照れているような視線、哀しさとおかしさの入り交じった奥深い演技にはそんな言葉の支えがあるのです。
お天道様に恥ずかしくない自分でいられるように、今年も頑張らないと。お正月休みでだらけた頭とからだに活を入れられたような気持ちになりました。