オーディオブック いつか来る死(糸井重里 著 小堀鴎一郎 著)
72歳の糸井重里が、
400人以上を看取ってきた82歳の訪問診療医と
「死」を入り口に語り尽くす。
「先がないと思うと
ピリッとして、覚悟や
勇気が出てきます」(糸井)
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「一人で死ぬのも、
看取られて死ぬのも、
人それぞれ。正解はない」(小堀)
死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。
糸井重里「はじめに」全文公開
「小堀先生と死にまつわる対談の本を出しませんか」と言われたとき、なんの抵抗もなく「やってみようかな」と思いました。そう思えたのは、70歳を超えた今だから。もう少し若い頃だったら、死ぬことについて話そうとは思えなかったでしょう。
ここ数年は、お守り札を持ち歩くように、「死」についての考えを頭の片隅に持ち歩いています。それは、ちっとも嫌なことじゃないんです。自分の体の衰えを感じたとき、身近な誰かが亡くなったとき。そういうときは、どっぷりと死のことを考えます。
一方、「自分のお通夜はパーッと楽しくしたいな」と空想する日もあれば、赤ん坊と接して限りなく死が遠くに思えるときもある。いつでも真正面から向き合っているわけではありません。揺れ動いていて、考えが変わることもある。それでいいんだと思います。
死に瀕している人、日常的に死に接している人だけが、死について語る権利があるわけではありません。ぼくみたいに「考えてないわけではない」くらいの状態が続いている人だって、死についておしゃべりしたい。だって、最後の最後には、等しくみんなに関係のあることなんですから。
死について考えることは、「生きる」について考えることです。死を意識すると、生きることがより解放される。年々、その効果を感じるよ うになりました。人生って、みつ豆のさくらんぼを最後のお楽しみに取っておいたら誰かに食べられちゃった、みたいなことだらけです。後で、後で、と考えていると、せっかくいただいた命を、存分に使えないままにしてしまう。
「やりたいこと」って、意外とできていないものですよ。そして、何がやりたいのかがわからないこともしばしばある。死を意識すれば、やりたいことが見えてきます。そして、ただやりたい放題やるんじゃなくて、ぼくが思いっきり動くことが、みんなも喜ぶことになるよう、一致させる意欲が湧いてくる。ぼくは今でもやりたいようにやっているつもりですが、まだできていないところがあるんですよね。
「上からの命令」や「社会の仕組み」といった、やりたいことを邪魔する要因から解き放たれるためには、「死」というカードを持っておくと強い。それがないと、「いつかやればいいや」でずるずる年月が経ってしまう。日頃から死について考えておくことが必要なんです。
もちろん年をとったら、具体的にどういう死に方をしたいか、決めておいたほうがいいという現実的な話もある。そのあたりは、小堀先生の看取り事例や訪問診療の活動に大きなヒントがあると思います。
ぼくと似たような年代で、死を遠ざけて生きてきた人は多いでしょう。70歳を超えて、真剣に考えろと言われても、どうしたらいいのかわからない。途方に暮れている人にとって、この本が溺れている状態でつかむ最初の「藁」になったらいいですね。いや、藁じゃ頼りないかな。大きめの木片くらいにはなると思います。
この本を読むことで、死の話題はむやみに避けなくてもいいと思ってくれたらなによりです。さらに、身近な人と死について話すきっかけにしてくれたら、もう、ものすごくうれしいです。