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第7話 玉虫色のスーツヒキコモ・ル・ネサンス


ヒキコモ・ル・ネサンス 山田ルイ53世 著

ヒキコモ・ル・ネサンス
山田ルイ53世 著

中学受験合格で神童に上り詰めた山田少年は、とある事件をきっかけに、引きこもり生活に入ってしまう。そこから、大検に合格して立ち直るものの、失踪、借金生活と、再び負のスパイラルに陥る。が、紆余曲折を経て見事「復活」する。第1章では、引きこもりに至る前の波瀾万丈の神童ライフを辿っていこう。。
 

第1章 神童の予感

【第7話 玉虫色のスーツ】

父親のス―ツが変だった。
一張羅と言うヤツだが、とにかく独特のセンスで嫌だった。
少し光沢のある素材で、見たことのない緑色のス―ツ。
上京して、東京でタクシーの運転手を見た時、「あ、おとんや!」と思った。
ある日、パパと二人で語り合いたくなるほどにグリーングリーンしていた。
それを「ここぞ!」という時着てくるのである。また本人は格好良いと思っているのがたちが悪い。
よその子のお父さんが、そんな感じのスーツを着ているのを見たことがない。
僕は、めちゃくちゃ恥ずかしかった。
小学校の時、たまたま仕事の休みが合ったのか、参観日に父が来た。例のスーツで身を包み、学校にやって来たのだが、その時、クラスの連中が父を見て、
「玉虫や! 玉虫がおる!」
と騒ぎ出した。
当時、丁度、社会の授業で、聖徳太子の時代の事をやっていて、「玉虫厨子」のことを習ったばっかりだった。
国宝である。
「玉虫」という、金属光沢のある綺麗な緑色をした「虫」がいる。うっすら虹色の縦縞が入った美しい羽を持っている。
そんな綺麗な虫の羽根で装飾された「玉虫厨子」、さすが国宝。子供たちの玉虫の覚えはめでたかった。
父の例のスーツが、その玉虫を連想させたらしい。
「玉虫や! 玉虫のおっさんや!」
いかに誉れ高き国宝の装飾の、主たる部分を担う「玉虫」だとはいえ、自分の親がクラスの友達に「虫」呼ばわりされて、いじられるのはキツイものがあった。
その日は、その玉虫のおっさんが見守る中、算数の授業を受け、玉虫と一緒に帰った。
何の運命の導きなのか、僕は後に、実際に玉虫を捕まえたことがある。
少なくとも、今現在に至るまで、僕の周りでは、玉虫を実際に捕まえた経験をお持ちの方には会ったことがないし、当時の僕の小学校の友達にも、玉虫を捕まえたことがある子はいなかった。
珍しい昆虫だったのだと思う。
もしや、父のあのスーツを普段からに見慣れていたため、僕の目は、玉虫の独特の緑色に対して、他の人間よりピントが合い易くなっていたのかも知れない。
とにかく、珍しい昆虫を捕まえた子供なら、誰でもそうすると思うが、僕もご多分に漏れず、学校に持って行って、皆に見せびらかしたかった。
しかし、タイミング悪く、父が「玉虫のおっさん」呼ばわりされた後だった。
今、この「玉虫」を見せびらかせば、父のスーツのことを皆が思い出し、あの「いじり」を蒸し返される恐れが大きい。
なにしろ、僕自身、危うく「玉虫」というあだ名にされかけたのだ。今は危険を冒せない。
その時は、なんとか思い止まり、学校に持っていかなかった。
しばらく虫カゴに入れて、家で飼っていた。飼い方が悪かったのか、元々飼えるような虫ではなかったのか、しばらくすると玉虫は死んだ。
「玉虫のおっさん」事件のほとぼりが冷めたころ、死んだ玉虫を、せめて標本として学校に持って行き、先生に褒められようと思いついた僕は、死んだ玉虫をティッシュに包み、ポケットに突っ込んで学校に行った。
迂闊だった。
死んで、乾燥し、一切の水分を失った状態の玉虫は、ポケットの中で潰れ、粉末状になり、ティッシュに包まれたそれは、漢方薬の様になっていた。時代劇で江戸のお医者さんが紙の上にサラサラっとのせているヤツだ。
実際、漢方的効能があったのかもしれない。
それでも諦めきれなかった僕は、その粉末を元は「玉虫」だと先生や友達に必死で説明したが、誰も信じなかった。
全てはあの変な緑のスーツのせいである。
なんの因果か、今僕の隣には光沢こそないが緑の服の男が立っている。
玉虫の呪いかもしれない。

 
山田ルイ 53世 山田ルイ 53世
本名 山田順三(やまだ じゅんぞう)。 お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。 兵庫県出身。地元の名門・六甲学院中学に進学するも、引きこもりになり中途退学。大検合格を経て、愛媛大学法文学部の夜間コースに入学。その後、大学も中退し上京、芸人の道へ。1999年に髭男爵を結成。2008年頃よりTVにてブレイク。現在は文化放送「ヒゲとノブコのWEEKEND JUKEBOX」、「髭男爵 山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」など幅広く活躍中。