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小説セミナー 坊っちゃん文学賞を取る方法
講師 大島 一洋

坊っちゃん文学賞

小説セミナー 坊っちゃん文学賞を取る方法
講師 大島 一洋

 

第一回 はじめに

「坊っちゃん文学賞」とは

夏目漱石の「坊っちゃん」は、漱石が愛媛県松山市の中学へ教師として赴任した経験から書いたユーモア小説です。狸、赤シャツ、野だいこ、うらなり、山嵐、マドンナというあだ名で呼ばれる人物と坊っちゃんとの、騒がしい一ヶ月間が描かれています。舞台は松山市になっていますが、小説の中身は漱石の創造です。

松山市は1989年(平成元年)に市制100周年を記念して文学賞を創設する際、松山市を象徴する小説「坊っちゃん」の名を借りて「坊っちゃん文学賞」としました。「坊っちゃん文学賞」は隔年開催ですが、2011年の第12回募集で23年間続いていることになり、地方文学賞としては最長の歴史を持ち、今や全国的な知名度を得るにいたりました。

受賞者からプロの作家になったのは、中脇初枝、敷村良子、瀬尾まいこらが挙げられます。

「坊っちゃん文学賞」の応募傾向

毎回1000篇前後の応募があります。最初の頃は「坊っちゃん」のイメージから男性の応募が多かったのですが、次第に女性がふえてきました。

最近は発表されていませんが、第11回の応募者の年齢を見てみますと、10代24人、20代275人、30代298人、40代224人、50代128人、60代以上154人となります。圧倒的に20代から40代の応募者が多くなっています。ちなみに最年少受賞者は17歳(第8回・浅井柑)、最年長受賞者は53歳(第7回・鬼丸智彦)です。ジャンルを問わない青春小説をテーマに掲げているので、時代小説やSF作品も少なくありませんが、やはり恋愛、友情、家族など、人間関係の喜怒哀楽を描く作品が多くなっています。

選考方法

応募作品のすべてを審査した上で、最終候補作8篇が選ばれることになります。そして、松山市に審査員の先生方が集まり、最終選考会を実施、議論の結果、大賞1篇、佳作2篇が選ばれます。突出した作品があって、あっさり決まった回もありますが、審査員の先生方が推す作品がばらばらになり、予定時間を越えて紛糾することもめずらしくありません。それくらいレベルの高い作品が集まる文学賞なのです。なお、最終候補作に残った応募者は、最終選考会当日、松山市に招待され授賞式に臨みます。授賞式の後のパーティでは、受賞者および惜しくも賞にもれた者も、審査員の先生方から直接講評を聞くことができます。そして大賞受賞作はマガジンハウスの雑誌「Hanako」に発表されます。

 

第二回 応募規定を読む

注意すること

最初にしなければならないことは、応募規定をきちんと読むことです。原稿枚数は400字換算で80枚以上100枚以内です。150枚も書いてくる応募者がいますが、多めに書いたから有望ということはありません。パソコン・ワープロ原稿と指定されているのに手書き原稿を送ってくる応募者もけっこういますが、パソコンを持っていなければ、誰かに頼んで入力してもらうぐらいのことは当然すべきです。

また、原稿用紙のマスにワープロ印字をする応募者がいますが、目がちらちらして読みにくいと不評です。A4大の白紙に30字×40行の縦書きでプリントアウトするのが基本です。最近横書きの応募原稿がふえていますが、これも不評です。また、同じ作品を別の賞に応募する二重投稿は、どの賞でも厳禁とされています。

タイトルの付け方

意味不明のタイトル原稿がけっこうあります。内容を読めばわかると言いたいのかもしれませんが、とんでもないと思います。内容をきっちりすくい上げるようなタイトルを考えるべきと思います。むやみに長いタイトルも避けたほうがいいでしょう。

ペンネームの作り方

最近の応募原稿には奇妙なペンネームが多く見受けられます。男性が女性をかたったり、その逆もあります。気取ったペンネームを考えるくらいなら、原稿の中身を工夫したり推敲するほうに集中すべきと思います。プロの作家をご覧になればおわかりと思います。変なペンネームの人はまずいないでしょう。好きな人の姓を使うとか、自分の出身地名を付けるとか、名前をひらがなにするなどのほうが無難です。変なペンネームの作品は、中身もよくないことが多いと言われています。

「あらすじ」(梗概)

最も大切な部分です。きちんとした「あらすじ」を書いてくる応募者は半分くらいしかいないと聞いています。「あらすじ」は宣伝や批評ではありません。さわりの部分だけ書いて、あとは読んでのお楽しみというのは、「あらすじ」ではありません。「さて、この二人の愛の行方は?」「驚愕の結末が待っている」などと終わっているのもダメです。最初から結末まできちんと書くこと。ミステリーだったら犯人や動機まで書くものです。「あらすじ」がいいかげんなものに、いい作品はほとんどありません。選考委員は新鮮な作品を求める一方で、作品のあら探しをしているわけですから、それにひっかからないようにしたいものです。規定の30字×30行をきっちり使って書きましょう。

 

第三回 テーマの決め方

青春小説とは

青春は人生の春、つまり若い世代のことをいいます。何歳から何歳までとは決めらませんが、常識的には10代前半から30代後半ということになるでしょう。応募作品の中には老人ホームでの恋愛を書いたものがたまにありますが、小説としての出来はともかく「坊っちゃん文学賞」にはふさわしくないように思います。青春時代は、人生においていろんな経験をします。みずみずしい爽やかなこともあれば、残酷で苦しいこともあります。恋愛、失恋、セックス、友情、絶望、暴力、親との確執、学校でのいじめ、自傷癖など。どこに焦点をあて、どう書くかを考えましょう。

恋愛小説とは

応募原稿で最も多いのは恋愛小説です。恋愛小説で大事なことは、まず出会いです。出会いを細かく書くことをおすすめします。なぜその人に惹かれたのか、姿や表情などを読者にわかるように描きます。次に恋愛が簡単に進行してしまっては小説になりませんので、必ず障害を設定します。ライバルの登場だったり、年齢差だったり、すんなりといかない状況を作ることで盛り上がります。さらに、何か象徴的な景色や小物をあしらうと効果的です。例えば、花、果物、ブローチ、携帯電話のメールなどが使えそうな気がします。

自分の体験か取材か

ほとんどの応募原稿は自分の体験を基にしているようです。恋愛に家族との確執や学校での不満を加えたりする例が多いようです。体験はそのまま書いても小説にはなりません。想像を膨らませて書き込んでいく必要があります。そうすると、書き進めるうちに主人公がかってに動き始めることに気づくでしょう。予想もしなかった方向へ展開していきます。それが小説を書く面白さであると言ってもいいでしょう。

自分の体験ではなく、他人の体験を書くこともできます。これはきちんと取材しなければなりません。例えば、珍しい体験をした人に話を聞いて、自分の体験のように小説化することも可能です。ただし、聞き書きをきちんとしないとリアリティが薄くなってしまいます。

ミステリーか時代小説かSFか

この三つのジャンルは応募者が少ないせいか、最終候補作に残ったことはありますが、大賞を受賞したことはありません。だから挑戦してみる価値はあると思います。例えば、恋愛小説にミステリーを持ち込むことも可能です。選考委員を引っ張って最後まで読ませるためには、ミステリー的要素が必要かもしれません。
時代小説は、松本清張の短篇を参考にするといいでしょう。非常によく出来ていますから、自分も書いてみようか、という気にさせられます。SFは映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」みたいなものが考えられれば、「坊っちゃん文学賞」にふさわしいかもしれません。

 

第四回 書き出しの方法

何度も書き直せ

最初の3行から5行が大事です。選考委員に「おっ」と思わせる工夫が必要です。プロの作家でさえ何度も書き出しを考えて書き直しているくらいですから、素人は最低でも10回は書き出しを書き直すべきと思います。といっても、書き出しはその小説全体の空気を伝えるものですから、大げさに文章をひねくる必要はありません。また、100枚くらいの小説ですから、プロローグなどは必要ありませんし、第1章、第2章などという章だてもいらないと思います。区切りが必要なときは一行あけるか、一、二、三ですますほうがよいと思います。

最初の10ページで決まる

100枚程度の小説は「あらすじ」と最初の10ページ(400字換算で30枚)でだいたいレベルがわかります。ということは逆に10ページ以上読ませることを考えればいいのです。10ページ読んでも主人公が出てこない応募作もあるようですが、そんな作品が予選を通るはずがないと思います。また、えんえんと風景描写を書く応募者も多いようですが、これも失格でしょう。書き出しの3行~5行と最初の10ページ、まずはこれに集中するべきでしょう。

早めに核心に入れ

ミステリーの鉄則に「早めに殺人事件を出せ」というのがありますが、普通の小説でも同じことが言えます。小説の核心となる部分を早めに出さないと選考委員は退屈してしまいます。恋愛小説なら、いきなり出会いのシーンから始めてもよいのではないでしょうか。家族ものだったら、例えば「母が出奔したのは私が六歳のときだった」というように書くのもいいでしょう。最初の10ページで作品のレベルがわかってしまうというのですから、その小説の核となる部分を早めに出して、選考委員の興味を引かなければなりません。ちゃんと最後まで読んでもらえればわかるはず、などと悠長なことを言ってる場合ではないのです。

プロの書き出しの例

「これはある精神病院の患者――第二十三号がだれにでもしゃべる話である。彼はもう三十を越しているであろう。が、一見したところはいかにも若々しい狂人である」(芥川龍之介「河童」)
(寸評)「第二十三号」の「若々しい狂人」という言葉が新鮮です。彼はこれからどんな話をし始めるのだろうかと、読み手を引っ張ります。

「子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ」(太宰治「桜桃」)
(寸評)有名な書き出しです。世間の常識をひっくり返えします。「えっ、どうして?」と読者に思わせる戦略です。

「私は北九州のある小学校で、こんな歌を習った事があった。
更けゆく秋の夜の旅の空の
侘しき思いに一人なやむ
恋しや古里なつかし父母
私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」(林芙美子「放浪記」)
(寸評)「旅愁」という歌を引用し、「古里を持たない」と逆転させる方法で、著者の強い意思が伝わってきます。

「おい、地獄さ行ぐんだで!」(小林多喜二「蟹工船」)
(寸評)会話で始まる書き出しです。「地獄へ行く」という言葉で、蟹漁がいかに過酷な仕事であるかがわかります。

「龍哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持と同じようなものがあった。それはリングで叩きのめされる瞬間、抵抗される人間だけが感じるあの一種驚愕の入り混じった快感に通じるものが確かにあった」(石原慎太郎「太陽の季節」)
(寸評)女性との出会いをボクシングにたとえた意外性が素晴らしい。

「なんとなく何事か起こりそうな気配というものがあって、そんな感じがあたしは好きだ。風の強い晩だとか、急に空が暗くなる午後だとか、新聞でたてつづけに大きな事故が報じられるとか、そんな不吉で凶々しい予感のする時というものがあって、そんな時、あたしはなぜかふっと生気をおび、そわそわと嬉しくなるのだから不思議な気がする」(五木寛之「こがね虫たちの夜」)
(寸評)不穏な雰囲気の書き出しで、これから何が起こるだろうかと、読者の興味を引きます。

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た」(川端康成「伊豆の踊子」)
(寸評)わずかな字数で大きな自然を、ざっくりと捉えています。無駄な言葉がないのです。

 

第五回 文章表現の方法

陳腐な慣用表現は使うな

「文章は形容詞から腐る」と言ったのは開高健です。形容詞は修飾語ですから、使い過ぎると文章をイヤミな感じにさせてしまう。つまり文章は飾りすぎるな、ということです。

比喩も注意すべきです。「幽霊のような」「鬼のような」「この世の終わりのような光景」といった陳腐な表現は使わないこと。幽霊でも鬼でも種類があるはずだから、曖昧にせず、自分の実感を表現するように心がけるべきです。

村上春樹の比喩を真似ようとしている応募作が見受けられますが、これはマイナスです。村上春樹の比喩は背後にアメリカ文学にたいする教養が蓄積されているから納得できるものなのです。

漱石の「坊っちゃん」の中に面白い比喩があるから紹介しておきましょう。坊っちゃんが初めてマドンナを見たときの表現です。

「おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみたような心持ちがした」

実にユーモア小説らしい比喩ではないでしょうか。

視点をずらすな

男性の主人公の視点で始まった小説が、女性と会話をするうちに、いつのまにか女性の視点に変わってしまうというケースがよくあります。一行あけとかがあって、ここからは女性の視点ですよという合図もありません。これは書いているうちに視点がねじれてしまったもので、あきらかに推敲不足です。長い文章はねじれやすいので、文節を短くするといいと思います。

一人称で書くか、三人称で書くかも事前に決めておかなくてはなりません。また、三人称で書いたとしても特定の主人公の視線や心理に寄り添って小説を進めるのがいいと思います。「神の視点」といって、登場人物を上から見るように平等に扱う方法もありますが、これは難しいし、短篇向きとはいえません。100枚くらいの小説ですから、視点は最後までずらさないほうがいいでしょう。

「しかし」「そして」は削れ

接続詞は、たいがいの場合削っても意味は通じます。「しかし」「そして」「だが」などが続くとうるさい駄文になりがちです。思い切って全部削ってみてください、すっきりしますから。

また「私は」「僕は」などの主語もできるだけ削ったほうがいいでしょう。主語を繰り返さないと不安なのかもしれませんが、省略したほうが文章が締まります。

さらに言えば、「~のような」「~という」はできるだけ減らすようにするといいでしょう。どうしても使わなければならない場合は仕方がありませんが、別の言い方ができないかを考えてみましょう。

音読のすすめ

書き終わったら、声に出して読んでみることも大切です。ひっかかる部分があれば、そこは文章がおかしいということですから書き直します。100枚全部音読してみます。かなり文章が上手な人でも、10ヵ所くらいは声がつかえるところがあるはずです。

 

第六回 書き直しを恐れるな

推敲あるのみ

小説のレベルを上げるには、推敲しかありません。一度書いたものは書き直したくないというのは単なる傲慢です。現在プロで活躍している作家たちも、編集者に何度も書き直しをさせられた経験があるはずです。これを書いている筆者自身も週刊誌の記者だったころ、上司から何度も書き直しを命じられました。多いときは4回も書き直しました。屈辱感と悔しさで泣きたいほどでした。

文章は書き直せば必ずよくなります。スポーツと同じです。練習しなければうまくならないのです。イチローや松井秀喜は生まれつきの天才です。それでも厳しい練習をしています。才能があるかどうかわからない人間が練習しなくてどうするのでしょうか。素人でも練習を重ねていけば甲子園に出るくらいにはなれるのです。

文章における推敲は練習です。どんどん書き直すべき。場合によっては、最初から書き直したほうがいい場合もあるのです。

誰かに読んでもらえ

どこを書き直していいのかわからないときは、本好きの誰かに読んでもらい、指摘された部分を書き直すのがいいでしょう。複数の人間に読んでもらい、全員が面白くないと言ったら、そのテーマを捨て、別なテーマで書き直したほうがいいかもしれません。そう簡単に1000分の8にはなれないし、1000分の1はさらに難しい。運もありますが、予備選考を突破するためには、努力を惜しんでいては無理というものです。

 

第七回 終わりに

一度落ちても諦めるな

一回応募して落ちても、何度でも挑戦する気持ちが必要です。現実に「坊っちゃん文学賞」に何度も応募し、最終候補に二回なった人がいます。今一歩足りなかったのか、運がなかったのかわかりませんが、諦めない精神を評価したいと思います。

また、最終候補に残って受賞できなかった人で、のちに直木賞を受賞した人がいます。現在、名をなしている作家も、あまり語りたがらないけれど、10回も新人賞に応募して、やっと受賞した人もいるのです。
諦めてはいけません。とにかく書きなさい。読みなさい。必ずチャンスはくると信じることが大切です。

 

講師プロフィール

大島一洋(おおしま・いちよう)編集プロデューサー

1943年岐阜県生まれ。早稲田大学第一文学部美術専修科卒。1968年平凡出版(現マガジンハウス)入社。「週刊平凡」「平凡パンチ」「ダカーポ」編集部を経て、文芸誌「鳩よ!」編集長。2005年に定年退職。「坊っちゃん文学賞」には「鳩よ!」時代からかかわっている。