第8話 人生の頂点ヒキコモ・ル・ネサンス
ヒキコモ・ル・ネサンス
山田ルイ53世 著
第1章 神童の予感
【第8話 人生の頂点】
小学校6年生になった。学校の成績は良かった。通信簿は、1科目、確か図工か家庭科が「4」で、他の科目は大体いつも「5」だった。
部活は、サッカ―部。入部した当初から、ずっとレギュラ―。なかなか才能もあったようで、小学校3年生か4年生の時にサッカーを始めたのだが、入部初日にリフティングが100回以上できた。
人望もあったのか、選挙で児童会長なんかにも選ばれた。バレンタインデーには女子から沢山チョコレ―トも貰っていた。
小学校6年生にして、早くも人生の頂点、「黄金期」を迎えていた。
完全に、人生の「ペース配分」を間違えた。マラソン選手なら完全に調整ミス。オリンピックの半年前に体調のピークを持ってきてしまった……そんな感じだ。
とはいえ、当時はしょせん目先のことしか考えない子供である。この栄華が未来永劫続くと思って毎日過ごしていた。
そんなある日、まだ夏というには少し早い時期だった。休み時間、教室の隅で1人机に向かっている少年がいた。
小学生の休み時間と言えば、子供たちは「我先に」と外に飛び出していく。ドッヂボ―ルや手打ち野球、ドロケンなどなど、運動場で思い思いの遊びをするためだ。
僕の知っている限り、休み時間に机にとどまって、わざわざ勉強をするような奇特なヤツは、見たことがなかった。
それが、細野君だった。
我ながら嫌な人間だったと思う。
というのも、先程から書いてきたように、6年生、齢12歳で人生のピークを迎えた(と思っていた)僕は、クラスの中、もっと言えば、学校全体で考えてもかなり目立った存在で、恥ずかしげもなくはっきり言えば、リーダー的存在だった。正直、学校中、1年生から6年生、ほとんど全員が僕のことを知っていたと思う。生来自意識過剰な性格な上、そういう状況がさらに僕をおかしくしていたのだろう。
僕は当時、他人を「主役」と「脇役」に分けて考える癖があった。
当然、自分は主役である。
他にも、足がすこぶる早いヤツとか、僕と同じくらい勉強ができるヤツとか、面白くて人気のあるヤツとか、そういう一芸に秀でた人間は、「準主役」とカテゴライズしていた。
よって、その他の「脇役」の子たちとは、ほとんど喋ったことも、遊んだこともなく、同じクラスに居ながら、その存在が完全に僕の意識の「死角」に入っている人間もいたのだ。
そして細野君は僕にとって、「脇役」ですらない、「エキストラ」的な非常に陰の薄い存在だった。
何の気紛れだったのか、自分でも分からない、「主演俳優」である、僕は「エキストラ」の彼に近寄って声をかけた。
「何してんの? 遊ばへんの?」
「うん……ちょっと、宿題せなアカンから」
この瞬間まで、ほとんどまともに話したこともなかった二人である。会話もぎこちない。少し戸惑った表情を浮かべながらそれでも細野君は愛想よく笑顔で答えてくれた。
その様子を見て、勘違いしている馬鹿なガキ、つまり僕は、
「なるほど。突然、学校のリーダー的存在、主役の自分に声を掛けられたから、緊張してるのかな!?」
などと、出所不明の優越感に浸っていた。
知らないというのは、本当に滑稽なことで、おそらく、彼の方こそ、僕のことなど眼中になかったのだと思う。
通っている塾の、中学受験対策のレベルの高い問題集に時間を惜しんで取り組んでいる最中に、喋ったこともない調子に乗ったクラスメイトに絡まれて、
「邪魔くさいな……」
くらいに思っていたに違いない。
本名 山田順三(やまだ じゅんぞう)。 お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。 兵庫県出身。地元の名門・六甲学院中学に進学するも、引きこもりになり中途退学。大検合格を経て、愛媛大学法文学部の夜間コースに入学。その後、大学も中退し上京、芸人の道へ。1999年に髭男爵を結成。2008年頃よりTVにてブレイク。現在は文化放送「ヒゲとノブコのWEEKEND JUKEBOX」、「髭男爵 山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」など幅広く活躍中。