マガジンワールド

第11回 南伸坊さんのコドモ時間


フナヤマの言葉さがし

初めまして、船山と申します。一読者として愛読してきた『クウネル』編集部で働くことになりました。かなり年のいった新人ですが、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。当コラムでは私が『クウネル』の取材の席で聞いたり、本や雑誌、新聞で読んだりした言葉、忘れられない文章やひと言をぼちぼちと紹介していければいいな、と思っています。

 

第11回
南伸坊さんのコドモ時間

エッセイ、イラストレーション、装丁…、心がほかほかと温かくなり、ちょっとにんまり、ときには呵々大笑させられる南伸坊さんの作品たち。今号の「本と人」では、エッセイ集『おじいさんになったね』を上梓した伸坊さんにインタビューをしました。「ゴキゲンな人でいたい」という伸坊さんの考え方、仕事ぶりと暮らしについて、話を聞いています。

その伸坊さんが東京・池袋近くで育った子ども時代をつづった『ぼくのコドモ時間』は、第二次大戦の敗戦からそれほど時間の経っていない、まだ貧しかった頃の東京の町と子どもたちの姿を描いた素敵な本です(現在はKindle版のみ販売)。

その中に『しんちゃんのオカモチ』いう一篇があります。しんちゃんは南さんと同じ年の小学生。以前ケンカをしてけがをさせられた「テキ」、いわゆるガキ大将だったのでしょう。
ところがある日、南さんのお父さんがしんちゃんの行動を見て、「しんちゃんは、なかなかイイな、カッコイイぜ、アイツは……」とほめたのでした。
病気がちで、家でふせっていることが多く、南さんが小学5年生のときに他界してしまった父親。自分の「テキ」を珍しく手放しでほめる父としんちゃんに、南さんはちょっぴり嫉妬心を抱きました。お父さんが「カッコイイ」と思った理由はこうです。

しんちゃんの母親は近くの「サンキュー食堂」で働いています。ラーメンとチャーハンとカツ丼と定食を出す大衆食堂です。あるとき忙しいお母さんが、自分の代わりにしんちゃんに配達を命じます。オカモチを持って、「サンキュー食堂です、お待ちどおさま」とちゃんと言うんだよ、わかったね、と念を押して。
周りの子どもたちが、しんちゃんをからかいます。その様子を父は見ていました。
「周りの子どもがしんちゃんのことハヤすワケだ。サンキュー食堂でーす、おまちどおさまあ! ってさ。そんなことされたら恥ずかしがるだろ、ところがアイツは違うな、ハイお待ちィーッ、サンキュー食堂ですーッ! って楽しそうなんだ。で、カラのオカモチ、スキップしながら持って帰ってくる。そのころはもう、さっきはやしていた連中が、しんちゃん、あんまり楽しそうだから、それ持たしてくれ、持たしてくれって頼んでるんだ。/『よし、じゃあジャンケンしろ、そこにならべーッてさ、ハハハ、ありゃあイイ』」

南さんは書いています。
「明さん(注・父親の名前です)は、親の仕事を手伝う子が偉いとか、親の言うことをきく素直なコドモだとかいって評価してるワケじゃないんですね。ボクには一瞬にして明さんの言ったことがわかった、(中略)お父さんと同じように、〈しんちゃんはカッコイイ!〉とその時、ほんとに思ったんです。自分が楽しくなる天才だって尊敬したんですね。/ボクが明さんから、教わったことの最大の、これが思い出です。」

「歯をくいしばって耐えたり、ナニクソッ! とかいってガンバッたりするんじゃない、たのしいヤリカタ。ホガラカな思いっきりのよさ、マイペース。説明しようとすれば際限もなくズラズラ続きそうな話を、/「アイツはカッコイイぜ」とだけ言ってわからせてくれた明さんを、ボクはいまでも、とても好きです。」

南さんのエッセイやイラストレーションに流れているおおらかさ、「ま、楽しくやりましょうよ」という温かい空気……それってこんなふうに育てられたものなんだなぁ、としみじみ納得しました。オカモチを持たされて配達に駆り出された子ども、ちょっと格好悪いし、ほんとはみんなと野原で遊びたい。でもその子なりのアイディアで、みんなの気持ちを引きつけてしまう。そんな近所のガキ大将を、にこにこしながら見つめている南さんの父親。

仕事ができるとか、異性にもてるとか、「カッコイイ」の定義は人それぞれですが、お父さんが好きだった「カッコイイ」は息子の中に「オカモチ」の思い出と一緒に、そのまま受け継がれたんですね。

明さんは早くに亡くなったので「結局ボクは一人前の男同士として、口答えをしたり、ケンカをしたり、反抗したりというようなことができずじまいになってしまいました。/しかし、もし、明さんが死なずにいまでもヨボヨボで生きていたら、こんなふうな、思い出すたびに日なたぼっこをしてるような気分になる思い出も、なしくずしになくなっていたかもしれないし、どっちがよかったか、わかりませんね。」
エッセイはそうしめくくられています。