第7回 山極寿一さんとゴリラの教え
フナヤマの言葉さがし
第7回
山極寿一さんとゴリラの教え
あまたの研究書が並ぶ何本もの書棚、そこに飾られた大小さまざまなゴリラの彫像、お面や絵画。木彫りの”見ザル聞かザル言わザル”も楽しげに並んでいます。壁には堂々たるオスゴリラの姿をとらえたポスターが。最新号の取材で出かけた霊長類学者の山極寿一さんの、京都大学の研究室の様子です。
今年10月、京大の総長に就任した山極さんはゴリラ研究の第一人者。長きにわたって、アフリカの森の奥深くへ分け入り、ゴリラの行動や生態、群れや親子の関係を研究してきました。
彼らと同じものを食べてみたり、子育ての様子や捕食行動を間近に観察する。時には群れのボスに威嚇されたり、時には仲間として受け入れられ、子どもゴリラと一緒に遊んだりしながら(大けがを負う可能性もあるのです!)のフィールドワークです。
人間と自然について、山極さんはこう書いています。
「なぜ人間にとって、自然が大事なのでしょうか。(中略)ぼくはこう考えています。人間にとって自然が必要な理由は、人間には自然からしか学べないことがたくさんあるからだ、と」
「自然の中では、向こうから何がやってくるか、空から何が落ちてくるか、はたまた地面に何があるかもわかりません。予想できないことだらけです。/だから、自然の中に身を置くのと、街の中に身を置くのとでは、人間の『構え』がおのずと変わってくるはずなのです。/次々と起こる予想もしないことにひとつひとつ対処をしながら生きていく、という構えを持つのか。それとも、想定内のところで安全かつ自分の思いどおりに生きていく、という構えなのか……。」
20世紀、人間による乱獲、自然環境の悪化などでゴリラの数は激減し、いまではわれわれと共通の祖先を持つこの霊長類は絶滅危惧種ともなってしまいました。いかつい風貌とはうらはらに穏やかな草食動物で、知能も高いゴリラに魅入られた山極さん。彼らを追い、調査する過程では、さまざまな危険にも遭遇してきたことでしょう。でも、山極さんはゴリラと自然が教えてくれたことをじっくりと血肉としてきたのだと思います。
「今は、自分が思ったとおりにできないことがあると、すぐにイライラしたり、『失敗した』と思って、ひとつの出来事をとても重くとらえてしまったりする人が多いように見えます。
人に対しても同じです。相手と話がうまくかみあわなかったり、自分の意見に賛同してくれなかったり、自分の期待どおりに動いてくれなかったりするときに、『嫌われているんじゃないか』とか、『裏切られた』とか、果ては『相手がおかしいんじゃないか』とまで思って傷ついてしまうことはありませんか。」
「でも、本当はそうではないはずです。相手と自分とはちがうのですから、思っていることもちがって当然です。また、相手の反応も数あるうちのひとつであって、絶対的なものではありません。相手と自分との間に、ある種の『遊び』や『間』があって、さらに少し『ズレ』があると気づくことが大事なのです。そして『ズレ』を認められれば、ちがう考えを持った相手とも、いっしょに歩いていけるはずです。(中略)自然の中に身を置いていると、そのことが体でわかります。たぶん、ジャングルの中に放りこまれたら、すぐに実感しますよ。思いどおりにいくことのほうがよっぽど少ない、と」
「でも、『思いどおりにいかない=失敗』ではなくて、どうしたらいいかを考えるチャンスと考えればいいのです。思いどおりにならないことに出会った瞬間が、じつは、ものごとのはじまりであって、前に進むための扉を開けるきっかけなのです。」(引用はすべて講談社刊『15歳の寺子屋 ゴリラは語る』より)
思いどおりにならないことこそが、前進とか成長のきっかけになってくれるということ。せっかちに結果を求めるのではなくて、「間」や「遊び」を楽しみながら考えを深めていけばいいのだということ。そんな「構え」が人を少しだけ大きくしてくれるという希望。
総長になると先生から教わる時間がなくなる、山極先生を学長に選出しないで! という運動が学生の間で起こったほどの、よき教育者、素敵な男性である山極さん。より深く自身とゴリラ研究について語ってくださった最新号の「BOOK」のページもぜひご一読を。