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第12回 木皿泉さんの「生きているコトバ」。


フナヤマの言葉さがし

初めまして、船山と申します。一読者として愛読してきた『クウネル』編集部で働くことになりました。かなり年のいった新人ですが、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。当コラムでは私が『クウネル』の取材の席で聞いたり、本や雑誌、新聞で読んだりした言葉、忘れられない文章やひと言をぼちぼちと紹介していければいいな、と思っています。

 

第12回
木皿泉さんの「生きているコトバ」。

10年以上前に放送された連続テレビドラマ『すいか』が大好きだった。
三軒茶屋の昭和な感じのアパートで暮らす訳ありな人たちの日々。主役のお堅い銀行員を演じる小林聡美さんに、銀行のお金を横領して犯罪者となり各地を逃亡しているらしい元同僚の小泉今日子さん、アパートの、のほほんとした大家を演じていたのは市川実日子さんだった。みんなまじめで、不器用で。それが夫・和泉務さん、妻・妻鹿年季子(めが・ときこ)さんが共同執筆する木皿泉さんの作品との最初の出合い。その後もドラマや舞台、小説で作品を多く目にしてきた。そんな木皿さんの今年の夏に出たエッセイには、やはりいつもの通り、独特のおかしみと温かさが流れている。その中に『コトバ』という印象的な一編がある。

ある講演会で木皿さんが話をしたときのこと。講演後の質疑応答の時間に、木皿さんのファンらしく、会場でも最前列に座っていた年配の男性が「先生のエッセーはおもしろいのに、話は全然おもしろくなかった。今後、講演はやめた方がいい」と発言したという。おもしろくないというのは人それぞれだけれど、「やめた方がいい」というのは言い過ぎだよなぁ、と木皿さんは感じた。でも「そんなことをぶつけてくる人は嫌いではない。自己主張の強かった亡き父を思い出して、少し懐かしかったりする」とも思ったという。ところが講演会に来ていた別の人たちの反応は違った。「私は講演会おもしろかったです」との女性の発言に拍手が起こり、知人は「あんなことを言われて落ち込んでいるんじゃないかと心配しました」と憤慨して電話をしてくれたりした。

「どうも、言われた私より、聞いていた人たちの方が傷ついている様子だった。私は神経が太いのだろうか、さほど気になる出来事ではなかった」
「私が知らない間に、みんな、悪口に極端に弱くなってしまったようだ。ネットやメールばかりで、面と向かって言われることに慣れていないからだろうか。私は、知らない人に投げかけられたコトバに、そこまで深く傷つくことはない。そもそもコトバなんて、一瞬のもので、次の瞬間、違うことを思っていたりする。しょせんは、空(くう)に散ってしまうものじゃないかと思っていたが、今はそうではないらしい。ネットやメールのコトバは消さない限り、そこにずっとあり続ける。コトバは永遠に残るものらしい。それって大変なことだなぁと思う」

コンピューターやネットがコミュニケーションを大きく変えて、私たちの暮らしは飛躍的に便利になった。直接会わなくても、電話で声を聞かなくても、とても多くの情報、感情を共有することができる。一方で、生の言葉のやりとり、そこでかわされる声のトーンや音質、話している相手の視線やからだの動き、そういうものを含めてのダイレクトな対話が面倒だったり、不得手なものになってきてしまっているのだろうか。

「講演が終わってサイン会の時間になったとき、その男性が一番にやってきた。サインをしながら話していると、男性はレストランの店主だという。不思議なもので、そのときはすでに、私たちは面と向かって言い合ったという仲だったので、彼のコトバは私との間で転がり始める。
『私、このレストラン知ってますよ』
『うそぉ』
『今度行ったらまけてくれます?』
『あったりまえやないか』
 人の気持ちは、光の速度の十七倍の速さで移り変わってゆくと、仏教の本に書いてあるそうである。気持ちがそんなに目まぐるしく変わってゆくのなら、コトバの方も目まぐるしく変わるものだろう。生きているコトバだけがコトバなのである。そうじゃないコトバは受け流してもいいと、私は思う」(『木皿食堂② 6粒と半分のお米』双葉社刊より引用)

「先生の話は全然おもしろくない」と言った人とだって、やわらかな会話のやりとりを通して笑い合える可能性がある。流れ去り、忘れられることも多いけれど、人と人との間で交わされる言葉の豊かさを信じてもいい。そんなことを、木皿さんのエッセイはさりげなく伝えているように感じた。やっぱり木皿さんの書くものはいいなぁ。