作家インタビュー 直球の青春小説でデビュー
第13回大賞受賞、桐りんごさん
作家インタビュー 直球の青春小説でデビュー
第13回大賞受賞、桐りんごさん
沖縄のリレー少女の息づかいが小説に
—坊っちゃん文学賞に応募したきっかけは何でしょう。もともと作家志望だったのですか?
桐:いいえ、全然違うんです。ただ、大好きな作家さんの一人に、瀬尾まいこさんがいらっしゃって、彼女の本に書かれていた経歴に、2001年に坊っちゃん文学賞を受賞したと書かれていたので、それを目にした時から、坊っちゃん文学賞には興味を持っていたんです。ずっと心の中には、そういう賞があるんだということが残ってはいたのですが、まさか自分が応募することになるとは……(笑)。
30歳を超え、心機一転、それまでは読む専門だった本ですが、2013年1月に、何かを書いてみたいな、という気持ちになって、パソコンに向かうようになったんです。そして、坊っちゃん文学賞の応募には「青春小説」とあったので、青春というと、一番身近に感じられる題材でしたから、私にももしからしたら書けるかもしれない、と。
—今回応募されたのが初めての作品ですか?
桐:いえ、あれは4作目でした。その前の3作品は、どこに応募するわけでもなく、1月から3月の間に書いていました。私は、もともと大学卒業後は、沖縄に戻り高校の国語の教師をしていたのですが、6年前に体調を崩し、仕事を辞めざるをえなくなりました。
—『キラキラハシル』は小学校ですから、教師としての体験をもとにしているわけではないんですね。
桐:ええ。教師としての体験ではなく、自分の子ども時代の体験がベースになっています。私、小学生のときにリレーの代表に選ばれて、実際に全国大会に出場して国立競技場で走っているんです。予選落ちしましたけれど。その時のリレーの体験をもとに書きました。その中で、励まされたり叱咤したりする先生たちの存在を書きたいと思ったのです。
—自伝的な要素が強いんでしょうか。フィクションとノンフィクション、割合はそれぞれどれくらいですか?
桐:ほとんどフィクションです。実際に、先生から、あんなに温かい言葉をかけてもらった記憶はないので(笑)。こういう先生がいたらいいなあ、と思って書いていました。でも、私の小学校の校長先生も、「挨拶運動」で毎朝横断歩道の前に立って、「おはようございます」と自ら挨拶してくださる方でしたので、その部分はモデルにしています。
私が通っていた糸満市の小学校は、それこそ『キラキラハシル』の緑ヶ丘小学校のような小さな学校でしたし、子どもたちが練習に励むところなども、自分のリレー選手としての経験を思い起こして書いています。
作品を書くことよりも苦労した、削る作業
—書き始めてみて、苦労したことはありましたか?
桐:坊っちゃん文学賞を視野に入れて書き始めたのが4月でした。毎日、必ず2時間はパソコンに向かうか、原稿用紙5〜6枚を書く、というノルマを自分で課して、4月中には書き上げました。でも、出来上がってみたら原稿用紙131枚にもなっていて……。規定枚数は100枚でしたから、そこから31枚を削るのがとても大変で、2ヶ月かけて削っていきました。最後の方は睡眠時間3時間で、なんとか6月末の締め切りに間に合わせました。
—書き上げた手応えはあったのですか?
桐:うーん、自分の中では、手応えはなかったんです。これで出していいのかな……と。それで、最初に家族に読んでもらいました。
—ご家族の反応はどうでしたか?
桐:いい作品だと言ってくれました。教師たちが子どもたちのいいところを真っ直ぐに伝える姿勢や、小学生のひたむきさがしっかりと表現されていると感じたそうです。
—削る作業はどのように?
桐:家族と相談しながら。31枚を削るというのは、結構な分量ですから、どこが淘汰されていくのか、と考えると苦しかったですね。第四走者の子を妬んでいじめてしまう第三走者の子がいて、彼女の家庭の環境、おじいちゃんとおばあちゃんがいて、4人兄弟の3番目で、大家族で農業をやっている……という設定が頭の中にあったのですが、家族からは、そこを省いてもいいんじゃないか、とアドバイスをされたんです。
でも、両親は農業に忙しくて、お母さんはお洒落をする時間もなくて……という彼女の家族の部分はきちんと描きたかったので、そこは簡潔にしたくない、と言いました。もちろん家族も、私のその思いは理解してくれて、それ以外のところを削っていこう、ということになりました。
選考委員一人一人と交わした言葉の数々は
—最終選考に残ったという知らせを聞いた時のお気持ちは?
桐:過去に受賞した方のブログでは、授賞式の1ヶ月くらい前に最終選考の電話がくる、と書いてあったんです。1ヶ月ちょっと前の9月25日に電話が鳴って、着信の市外局番が東京の03だったので、まさか……と。なんだか怖くて電話に出られず、着信番号を調べて、坊っちゃん文学賞の事務局だと確認してから、自分から折り返して電話しました(笑)。11月5日の最終選考会で松山市に行くまではずっとドキドキしていました。夜寝るときも、うわごとのように怖い怖い……って。
でも、実際に選考委員の方たちにお会いできて、お話ができて、それだけでも思い出に残る、一生の財産だったと思います。先生方は、受賞した人間だけでなく、最終選考に残った一人一人に、一言どころか、本当に丁寧にたくさんアドバイスをしてくださっていました。ここからおかしくなっているよ、とか、ここを書き直した方がいいよ、とか。そういうお話を直に聞かせていただけるのは、とても素晴らしい経験だと思います。松山市さんが旅費も全額出してくださったので、とても感謝しています。
—大賞を受賞されたときのお気持ちは?
桐:私が一番憧れていた、私が書こうと思ったきっかけである賞を受賞できて、はじめは信じられない思いでした。でも、メディアに取り上げていただいたり、友人や親族からお祝いの言葉をいただいたりするうちに少しずつ実感してきました。
—受賞後の執筆活動はどのような感じでしょうか?
桐:今年の1月から半年間、沖縄タイムスさんのコラムのお仕事を頂いて、2週間に1回、金曜日を担当していました。
このコラム、テーマは全くの自由なんです。自己紹介がてら好きな作家について書いたり、坊っちゃん文学賞の最終選考会で松山市を訪れたときのことを書いたり。最近では、私の父について書きました。
読後に、じんわり温かくなり爽快感が溢れる作品を
—今も小説は書いていますか?
桐:発表はしていませんが、ずっと書き続けています。昨年の1月に小説を書き始めてから今まで、原稿用紙20枚程度の短いものもあわせると、10作品くらい書いているんです。この5月には長編を書き上げて、今はその校正をしています。ある一つの家族をテーマに、一つの出来事を通してバラバラだった家族が少しずつつながっていく感じを、家族それぞれの視点から書きました。
—『キラキラハシル』もそうですが、作品には子どもがよく登場するのでしょうか。
桐:今回の長編には、大学生の息子と中学生の娘が出て来ます。特に子どもを意識しているつもりはないのですが。たまたまそうなっているのでしょうか。
『キラキラハシル』を書いたときもそうなのですが、読んだ後に、爽快感やじんわり心が温かくなるような作品を書いていきたい、とずっと思っているのです。そういう思いがあるから、知らないうちに、子どもが作品の中に出て来るのかもしれませんね。
—今後も書きたいテーマはいろいろありますか?
桐:書きたいものって、大抵、掃除をしている時に思いつくんです。そこで思い浮かんだものは、単語なり文章なりを書き留めて、毎日書く時間を決めてパソコンに向かっています。昔から、そういう執筆生活に憧れていたんです(笑)。私の最も尊敬する村上春樹さんも、毎朝早く起きて3時間集中して、というパターンだそうです。かっこいいですよね(笑)。私は早起きの部分は真似ができないので、午前中は家事をして、午後、4時から6時までの2時間で集中して書いています。
島に来て6年、本を読む機会がぐんと増えたんですね。ゆったりと時間が流れているのを肌で感じて、書いてみようと触発された部分もあります。本島とは、時間の流れ方が全然違うので。
いつか、本島に戻って、ちょっとここから離れたら、この離島を舞台にした物語も書けるかもしれないな、と思います。少し離れてみたら全然違うものが見えてくるかもしれないですし。
—坊っちゃん文学賞を目指す人たちへのアドバイスをお願いします。
桐:私はアドバイスを言える立場でもないのですが……私自身、憧れていた賞なので、悔いは残したくないと思って応募しました。悔いを残さないように、本当に自分が書きたいものを書く、自分でも読んだらファンになってしまうような、大好きになれるような作品を書いて欲しいと思います。
■桐りんご プロフィール(きり・りんご)1981年生まれ。沖縄県糸満市出身。横浜国立大学教育人間科学部卒業。高校の国語教師を経て、執筆活動中。沖縄県在住。