YUCARI Vol.04(マガジンハウス 編)
日本の大切なモノコトヒトを見つめなおすカルチャー誌『YUCARI』。第4号の特集は「月」。規則的に満ちては欠けるリズムで夜空に浮かぶ月は、「暦」として人々の暮らしを支え続けてきました。政治や祭祀、そして農業や地域のイベントを司ってきたのも「月」。中国やアジア諸国と同じく、日本でもまた「月」が常に生活の中心にありました。
日本に西暦が取り入れられたのはたったの140年前。1872(明治5)年に西暦が採用されるまで、日本人は月の暦を中心に暮らしてきました。祭祀や政治、農業や製造業にいたるまで、規則的に満ちては欠ける月のリズムをモノサシに、ありとあらゆる行いを決めてきたのです。
今のように照明なんてない時代。当時の人々にとって、月は世界を明るく照らしてくれる、特別な存在だったに違いありません。例えば、月を詠った歌は「万葉集」や「新古今和歌集」などに数多く記録されています。愛しい人や大切な故郷を月に重ね、思いを馳せていたのです。また、平安時代の貴族たちは、夜空に浮かんだ月を愛でるにとどまらず、水面に映った月を間接的に鑑賞するために池を造営したり、月を眺めるだけのために建築を建てたりと、月への執着は今では想像もつかないほど強かったようです。室町幕府の8代目の将軍、足利義政によって建てられた「銀閣寺」も、毎年八月の「中秋の名月」を楽しむことに特化した建築だったという説もあるようです。
今ではすっかりと忘れ去られた月にまつわる風習もあります。江戸時代の「月待ち」もそのひとつ。明け方近くにようやく昇ってくる月を待つという口実のもと、庶民たちは海辺や高台に集まり、夜を徹して呑めや食えやの大騒ぎをしていたそう。月は、堂々と夜遊びするチャンスをも与えてくれる存在でもあったのです。そんなお祭り騒ぎの様子は浮世絵にも生き生きと描かれています。今回は、そんな浮世絵にフォーカスし、江戸の女性の暮らしぶりにも注目しました。
現在では、想像もつかないような日本人の月との付き合い方をご紹介する一方で、現在でも私たちの日常に息づいている「月」の楽しみ方も。例えば、月見そば。そばの上に生卵をのせただけ……と思いきや、実は月見そばとははその名の通り、丼の上で月見を堪能できる粋な遊び心を取り入れた一品なのです。月を表す「黄身」、その月にかかる雲の「白身」、夜空を表す「海苔」を土台に、かまぼこの「山」、三つ葉の「すすき」など、食材を巧みに配置することで、そば職人たちは月夜の風景を丼の中に描いてきました。そんなわけで今回は、美しい月見そばを堪能できる12の名店を厳選、月見そばの正しい作り方とともにご紹介しています。
その他、「ワタリガニ」「柿」「里芋」など、日本人が昔から「お月見」の際に味わってきた食材を使って、和食はもちろんのこと、イタリアンやパティシエなど5人の料理人が「お月見レシピ」を今っぽくアレンジ、それと併せて楽しみたい月見酒もご紹介しています。
あえて月を意識しなくても生活ができてしまう今だからこそ、長い間、私たち日本人が育んできた「月とともにある暮らし」を改めて見つめなおすことで、今の私たちの日々もまた少しずつイベントフルになるのかもしれません。 「あぁ日本で暮らしていて本当によかった」。そんな読後感にどうぞ浸ってみてください。