第42回 光子さんの小包
ペリカン戸田の遠い夜明け
第42回
光子さんの小包
昼下がりの編集部で、編集長と次号の打ち合わせをしていたペリカンに、1本の電話がかかってきました。「もしもし~、覚えていますか? あなた、元気にしている~?」
声の主は、松根光子さん。以前に沖縄の特集をした際、取材をさせていただいた方でした。
光子さんは読谷村の都屋地区にある共同店の店主をしていました。共同店というのは、地域の住人たちの共同出資で運営されている売店のことで、沖縄の国頭村で100年ほど前に誕生し、のちに県内各地に広まっていった店のかたちです。みんなでお金を出しあって生活必需品を仕入れ、店主や店番も住人の持ち回り。売り上げは次の仕入れの資金や、店の維持費に…という仕組みになっています。地域の住人、とくに、車で遠出することのできないお年寄りや子供たちにとっては、買い物の場であると当時に、”ゆんたく”(おしゃべり)などをして思い思いに過ごす、大切な憩いの場所でもあるのです。
そんな、沖縄の人が大切にしている共同店なのですが、近頃はコンビニエンスストアやスーパーマーケットなどに押されて、経営がたちゆかなくなる店が増えています。実は都屋の共同店も、取材時にはあと数日で閉店することが決まっていました。店主の光子さんは「おじいやおばあのことを思うと、本当は閉めたくないのだけれど」と目を潤ませ、「いつになるかはわからないけれど、自分の家のすみっこにでも、みんなが集まれる小さな店が開けたらいいね」と話してくれました。そしてペリカンは「さよなら、都屋の共同店」という記事を書いたのでした。
あれからもうすぐ5年。久しぶりに聞いた光子さんの声は明るく弾んでいます。
「私、お店を開いたさー! あの時あなたに話していたとおりになったのよ!」
自分の名前にちなんで「光(みつ)ストアー」と命名したこと。開店したのは2年前で、順調に営業していること。おばあたちのためにお店を作ることができて、心底ほっとしていること。そして、「ずっとあなたにお知らせしようと思っていたのよ」と言ってくださった光子さん。受話器越しに、店内のお客さんたちの賑やかな声も聞こえてきて、じーんときてしまいました。
うれしいお知らせから2日後、編集部に光子さんから小包が届きました。そこには、光子さんお手製の大きな「てんぷら」(サーターアンダギー)がたっぷりと、さんぴん茶、そして、できたてほやほやの「光ストアー」を写したスナップ写真が一枚、入っていました。