第17回 ポッコ チ ピーダ
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第17回
ポッコ チ ピーダ
アニョン ハセヨ (こんにちは)
マドロス イムニダ (マドロスと申します)
マンナソ パンガスムニダ (お目にかかれてうれしいです)
コッピ ハンジャン プタッカムニダ (珈琲を一杯頂けますか)
カムサムニダ(ありがとうございまーす)
韓国に向かう機内にて、ハングル語会話の本を片手にスチュワーデスさんとハングルレッスンをするマドロス。機内での会話としては少し変です。
先月、済州島に行って来ました。旅の目的は海女さんの写真撮影の許可をもらうためです。今年のアワビ漁の季節に一緒に潜らせてはもらえないかと島の北に位置する海女の村の漁業組合に撮影のお願いをしに行ったのです。というのも友達のおばあちゃんが現在でもその村に住んでいて、海女のOBということで、おばあちゃんのツテを頼りに友達に頼み込んで島に連れて来てもらったのでした。済州島は韓国のハワイと聞いていましたが、桜が満開だというのに風が冷たく寒かったです。韓国本土と同じようにきっと冬は厳しいのでしょう。
友達のおばあちゃんの村の景色は沖縄に似ていました。赤瓦ではなくトタン屋根だけれど台風に強い沖縄の家とほとんど同じでした。20年程前までは藁葺き屋根と岩で積み上げられた壁のこの島独自の家がほとんどだったそうです。おばあちゃんのお家は村の中ではそれらと違って芝生のお庭の真新しいお家でした。韓国の冬は底冷えするらしく各家にはオンドルという名の床暖房機能が常備されているそうですが、ちょうど僕らが訪れた時はおばあちゃんのお家のオンドルは故障中で、僕らはいきなりおばあちゃんに寝室に通されました。というのも布団の上に引かれた電気敷き布団が暖かいからその上に座れとおばあちゃんは勧めるのです。挨拶も早々「ゆっくりしていきなさい」と一言だけ残しておばあちゃんは孫と共に台所へ。初めて来た済州島で、初めてお邪魔した友達のおばあちゃんのお家。しかも寝室。何だか変な感じでしたが、不思議と落ち着きました。おばあちゃんの寝室は天井が高くて、大きなタンスがあって、テレビからは韓国のドラマが小さな音で流れていて、磨りガラスの光が心地よかった。なにより足下がポカポカして、ちょっと横になったらいつの間にか眠ってしまいました。到着して早々なのに、他人のお宅で、しかもおばあちゃんの布団で・・・・・・
「ただいま~」と友達の声で目が覚めました。既に外は真っ暗。友達とおばあちゃんとこの村に住む友達のはとこが帰って来ました。マドロスが寝ている間に漁業組合の人に連絡をとったと言うのです。「大丈夫、撮影許可が下りたから夏にまた来い」と友達のはとこ。なかなかの色男、ナイスガイです。
マドロスの旅の目的は寝ている間に全て終わってしまいました・・・
寝てしまったことを特に後悔はしなかったけれど、その間、全て手配をとってくれたおばあちゃんとはとこに感謝しつつ、寝ぼけながらこのところ随分長い間忘れてしまっていたことを思い出しました。それは亡きマドロスの原田のおばあちゃん(マドロスはおばあちゃんのことを原田のおばあちゃんと呼んでいた)と取り壊されてしまったおばあちゃんの原田のお家のことでした。ここと同じように天井が高く、大きなタンスもありました。どこかで仁丹のツンとする古い匂いがして、テレビの小さな音がいつも流れていて、子供の頃、おばあちゃんの部屋でよく寝てしまっていたことをその時ぼんやりと思い出したのです。おばあちゃんと話したことなんか何一つ憶えていないけれど、おばあちゃんの声やいつもニコニコ微笑みかけてくれたこと、おばあちゃんの布団で寝ていたことなんかを済州島で思い出したのです。
翌日、はとこの車に乗って親族一同と共に友達のおじいちゃんのお墓参りに連れて行ってもらいました。済州島のお墓は円形の小さな山のような形をしていて、まるでお茶碗に盛られたご飯のようでした。緩やかな傾斜の広大な土地に馬が放牧され、高い所から低い方へ先祖代々のひとりひとつの山がいくつもあります。おじいちゃんのお墓の前でお供えをし、それぞれが順番に手を合わせます。それが終わるとその場でお供え物を頂きます。日本のお墓参りとは少し違ってお墓の前で皆で楽しく過ごすのです。その日は天気がよくて、なんだかピクニックのようでした。
マドロスも今度、実家の福岡に帰ったらおじいちゃんとおばあちゃんの墓参りに行こうと思いました。
帰りの車中、運転するナイスガイのはとこに満開の桜を見ながらマドロスは「桜が咲いたってハングル語でなんていうの?」って聞きました。
「ポッコ チ ピーダ」とナイスガイのはとこは答えました。