第42回 書評『装幀のなかの絵』
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第42回
書評『装幀のなかの絵』
昨年末クウネルADアリヤマさんと、ある学校で『写真とアートディレクション』について講義をする機会を与えてもらった。普段、写真は撮ることが仕事で、あえてその行為を言葉にする必要を感じていなかった。
でも、いざ学生を前に自分の仕事の話をするとなると、感情ばかりが前に出て、何度も言葉に詰まってしまう。「大切なことはあえて言葉にする必要などない」と気が付いたことをほったらかし、アーティスト気取りでわかったつもりになっていたということなのか。
それに比べ、アリヤマさんの講義は実に面白かった。普段感じ考えていることを、正直かつ謙虚に言葉に置き換え、整理されたそれに飾り気はない。学生が眠くならないように、と自身の学生の頃の話や軽い冗談を時折交え、聞き手を飽きさせない。そんな心遣いがテーブルに並べられた資料として持参した作品群とあいまって、ひとつひとつ説得力が増す。
その時、学生を前に何も話せなかったことを、僕は今も恥じている。先日アリヤマさんにそれを伝えたら、人前で話すことへの慣れもあるけど、普段感じ考えていることをできるだけ言葉にして人に伝えると頭の中が整理されるし、自分のことをより知ることもできる。それは訓練のようだけど悪いことではないよ、と教えてくれた。
…アリヤマさんのそんなおもいが書き綴られ一冊の本になった。『装幀のなかの絵』という本だ。内容はあえて触れないが、クウネルがどのような姿勢で作られているかしっかり書かれているし、他者になにかを伝えるために大切なことがこの本には沢山詰まっている。
これまでここでは主に旅先での出来事を書いてきたのに、以上のような話は唐突だったかもしれない。でも年初めに『装幀のなかの絵』を再度読み終え、黙っていられなかったのです。今回のコラムをおこがましくも勝手に書評(と呼べるものではないけれど)ということにし、おまけに新年の抱負にしたい。
平成24年1月20日
マドロス陽一