第52回 マドロス陽一の写真便りその2
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第52回
マドロス陽一の写真便りその2
年が明け、1月も半ば。
2014年、最初の撮影はいまだ始まらず
冬眠しているみたいな日々。
暗室にこもり、年末の大掃除でできなかった写真や書類の整理整頓などをやってみる。
ずっと手が付けられずにいた写真や書類の山。
来たるべき初仕事に備え、気持ちよく作業ができるようにフォルダやファイルを使いそれぞれを分類し、棚にきちんと納めていく。
仕事や作品以外の分類に困ったプライベートなものは、“とりあえず”の引出しになんでも放り込んでいたが、ついにそこもいっぱいになってしまった。
その“とりあえず”の引出しも整理整頓すべく、中に入っていたものを全て出してみた。
中には、同時プリントの思い出写真や履歴書用の顔写真、手紙やはがき、覚え書きなど、昨今ではスマートフォンの中にカメラロールやメール、リマインダーとしてデータに置きかえられた画像や言葉たち、それらが紙の状態で押し込められていた。
写真、手紙などのひとつひとつを、種類別→時系列→大きさ別に分類し整理していく。20数年前の学生の時のものまであった。
ちょっとしたタイムカプセルだ。
その中に一枚、カメラマンになる前のアシスタントだった頃の自分のポートレイト写真を見つけた。
98年頃、友人でもあった当時の師匠に奄美大島から鹿児島港に向かうフェリーの甲板で撮ってもらった。確か自分の初めての写真展に使用する写真だったはずだ。
プリントも自分で焼いた記憶があるが、定着後の水洗が十分に出来ていなかったのか印画紙が黄ばんでいる。
古い写真を眺めていると当時のことを思い出す。
いいことも、そうでないことも、いまとなってはよき思い出。
写真、やはり印画紙はいいなと思う。
当時の記録としての定着された画と、黄ばみやシミ、折れや傷みなどの印画紙の劣化、それ自体がプリントという物質として、手にとった人の記憶を蘇らせている。
(数十年後、この写真と同じだけ時間が経ったスマートフォンで撮られた顔写真をPCの液晶画面で見て、同じような感覚をおぼえられるのだろうか)
写真に写った若い僕は当時カメラマンになりたいと思っていた。
画学生だった自分が写真を撮りたいと思った純粋な動機を新年に思い出し、身が引き締まる。
2014年のはじめに暗室より マドロス