第69回 マドロス陽一の写真便り その19 いつまで重い機材を担いで写真が撮れるのか。
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第69回
マドロス陽一の写真便りその19
いつまで重い機材を担いで写真が撮れるのか。
新幹線はやぶさで気仙沼に向かっている。
梅雨明けしていないのにここ数日猛暑が続く。
蒸し暑いこの季節は重い機材の持ち運びが堪える。
といってもカメラのデジタル化で機材は随分軽くなった。
常用していた大判カメラ「エボニー4×5」や中判カメラの「PENTAX 67」、そのボディとレンズの総重量に比べれば35mmフルサイズのデジタル一眼レフはさほど重くない。
機材の重さが理由ではないが、ここのところ軽い機材で撮影する現場が増えている。
フィルムカメラの重さにいつまで身体が持ちこたえられるのか心配だったが、この先機材はますます軽くなり、いかなる撮影環境にも対応しうるカメラをポケットに入れ、現場に向かう日もそう遠くないと思っている。
この先、カメラマンという職業がどんなふうに位置づけられるのかと考えることがある。ある一定の基準を満たした写真を、だれでも簡単に撮影できるようになったら。
FacebookやInstagramなど、それはある部分で実現しているが、専門的な技術を身につけていなくても撮影でき、かつ「これで十分」と思われてしまうようになったら。その時は現在のカメラマンの仕事の半分、またはそれ以上なくなるかもしれないなぁと。お先真っ暗と悲観的に考えれているうちはまだいいのかもしれない。
カメラマンとして独立した頃、名刺に入れる自分の肩書きをカメラマンと写真家とフォトグラファー、どれにすればよいのか考えたことがある。正直どれでもよかったが様々な理由を考えた。写真家って先生みたいだなとか、カメラマンだとテレビの印象もあるなとか、フォトグラファーは気恥ずかしいとか。とりあえず自分が撮っていた当時の作品にあわせ、活字では写真家、会話のときはカメラマン、フォトグラファーと呼ばれたら照れることにした。
写真は決定的瞬間やおしゃれ、綺麗だけではなく、これが撮りたい、これを伝えたいなどの被写体へのアプローチにその醍醐味がある。簡単に撮影できるスマホの写真もシャッターを押すまでに手間がかかる大判カメラの写真もそれは同じだと思う。
友人の結婚式で写真を頼まれ、重いフィルムカメラでバシッといい写真を撮ったつもりでいたが、LINEやFacebookでおめでとうとメッセージ付きで送られてくる参列者の写真たちが本当によく撮れていて、危機感半分、ひがみ半分でそんなことを思いつつ、写真が身近になっていくことで感じることがたくさんある。
平成27年7月20日
マドロス陽一