第15回 今年の抱負と闘牛
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第15回
今年の抱負と闘牛
鹿児島県の徳之島で闘牛をみたことがある。日本各地から集められた牛達よって行われる闘牛の全国大会だった。どの牛も体重が1トンくらいありそうな大きな牛ばかりで強さの格付けを表すお相撲のような番付表が張り出された。円形の闘牛場では牛の闘争心を煽るための勢子<せこ>と呼ばれる人間の「おりゃりゃ! おりゃりゃ!」という威勢のいい掛け声に合わせ、二頭の牛が頭と角でぶつかりあい血を流しながら闘っ ている。闘争心が無くなり逃げ出した牛の負け、その時点で勝敗が決まる。勝利した牛は馬主ならぬ牛の主とその家族と共に勝ち名乗りを受け、賞金を受け取り次の試合まで生きられるが、負けた牛は廃牛される(引退)ことが多いそうだ。強い牛を育てるには時間と莫大なお金がかかるという。闘牛は牛にとっては生死をかけた闘いであることはもちろん、牛の主やその家族にとって夢であると同時にそれまでの努力が一瞬で消えてしまう絶望でもある。だから牛も牛の主もその家族も会場で応援している人達も皆、 真剣勝負だ。
その日最後の大一番の試合。牛の主の家族らしき兄妹が泣きながら自分達の牛の名前を叫び、応援する姿を客席でみた。試合が始まるとふたりは自分達の牛をみていられなかったのだろう、うつむいて「勝ちますように」と手を合わせ勝利を祈っている。ふたりの牛はこれまで大切に育てられてきたのだろうし、勝ち続けたからこそ最後の大一番の土俵で闘うのだろう。そしてその試合に負けることが何を意味するのか、ふたりは十分知っている。
今年の年明け。マドロスの事務所、フォイルの新年会が用賀の住宅地にひっそりとある蕎麦屋さんで行われた。そこは松の実のおかゆを最初に出してくれるやさしい感じのお店。「あけましておめでとう!今年もよろしく!」竹井社長の乾杯に続き、倫ちゃん(川内倫子さん)が「それじゃあ、今年の抱負をひとりづつ言いあおかぁ」とお父さんみたいなことを言うので驚いた。「今年の抱負」を人前で言葉にするのはこれが初めてかもしれない。
ひとりひとりが「今年の抱負」を言葉にする。そのどれもが気持ちのこもった現実的な言葉だった。実際に言葉にすると気合いが入るものだ。「今年の抱負」はなんとなく決めたつもりでいたのだが、いざ人前で言葉にするとなるとなかなか出てこない。考えたあげく出た言葉は「勝負します」というものだった(うーん、かなり曖昧)。竹井社長に「何を勝負すんねん」と速攻で突っ込まれたが「日々の勝負です」と更に曖昧な言葉で答えてしまった。結局うまく言葉にできなかった。
帰り道「勝負します」という言葉がマドロスにとってどういうことなのかひとり冷静に考えてみた。それは「真剣勝負がしたい」ということかもしれない。生活していく中で(マドロスの場合は仕事上で写真を撮ることも含め)いろんなことに慣れてしまい、相手や物事に対してなあなあになってしまうことが怖い。スポーツやギャンブルのような勝ち負けでは言い表せないかもしれないけれど、日常の物事にも必ず結果があるから、そのひとつひとつで「真剣勝負がしたい」ということなのだ。「今年の抱負」というより「心構え」だろうか。
「真剣勝負がしたい」とおもう時、なぜかいつも闘牛場で泣きながら勝利を願うふたりの兄妹の姿を思い出す。