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第35回 「ついにその時はやってきた」


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僕はカメラマンのマドロス陽一こと長野陽一と申します。この度、5冊目の新刊『長野陽一の美味しいポートレイト』(HeHe) という料理の写真集を出版します。その中にはku:nelで撮り続けてきた料理写真もたくさん掲載されています。それらは美味しさだけではなく、料理を通して取材対象者の暮らしやストーリーを伝える写真たちです。島々のポートレイトを撮るように料理も撮り続けてきました。そして料理写真はポートレイトだと考えました。それを“美味しいポートレイト”と名付けます。ここでは旅した島で見たこと感じたことや、写真の話をしたいと思っています。

http://yoichinagano.com/

 

第35回
「ついにその時はやってきた」

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2009年7月22日水曜日、天文現象の中でも最も美しいと言われる皆既日食を日本の島で観測できる日がやってきた。年始めに「今年は悪石島で皆既日食を観るぞ」と決意表明したので、マドロスはそれを実行し2日前から悪石島に入島しました。

人口70名あまりの悪石島に入島を許可されたのはツアー客、報道陣、島民の知人など約350人。宿泊施設が足りないため小中学校の校庭には60張りものテントが並び、プレスセンターと化した体育館から各社報道局が連日ニュースを伝えた。上空で報道や海上保安庁などのヘリコプターがものすごい音で飛び回っている。というのもここ悪石島が今世紀最長の6分25秒、太陽と月が完全に重なる皆既現象を観測できる有人島ということから、世界中の注目を集めていたからだ。前回訪れた静かな島とは全く違っていた。

日食前夜に行われた島民との交流会では、年に一度の盆行事でしか登場しない悪石島の神様「ボゼ」が登場した。赤土の付いた巨大な鼻はボゼマラと呼ばれ、それで触れられた女性は子宝に恵まれると言われる。悪石島のシンボルだ。宴の終わりは島唄とお祝いの舞いで日食当日の晴天を願い、祝った。明けて当日午前9時35分。

部分日食は始まっているはずだった……。観測会場である小中学校の校庭ではいくつもの三脚や巨大な望遠レンズ、天体観測用の望遠鏡がずらりと並べられ、その数はいよいよ始まる日食の興奮を盛り上げているというよりも、朝から一度も姿を見せない太陽に「お願いします!」と頭を下げているようだった。

その日の天候は悪石島のみならず鹿児島県吐噶喇(トカラ)列島全域で、朝から分厚い雲が上空を完全に覆い、その下を小さな雨雲がものすごい早さで流れていてどこまでも曇っていた。島にいた誰もが6分25秒の皆既時間の一瞬だけでも!と雲の切れ間を探している。

せめて日食で変わりゆく水平線の様子を撮影しようとマドロスは校庭から海岸へと走った。
海岸へ着いた時は皆既日食まであと30分程。上空では太陽が半分以上月と重なっているはずで、辺りが次第に暗くなっていくのがわかった。この時点で太陽を見ることは絶望的だった。なぜなら西の空から真っ黒な竜巻雲が強い風に煽られものすごいスピードでむかってくるのがはっきりと確認できたからだ。強風とともに叩き付けるような大雨まで降り出した。あっという間に嵐だ!

その頃、校庭では村の自治会長から竜巻による避難勧告が出され、その場にいた全員が体育館と校舎に避難していた。そんな大変なことになっているとは知らずマドロスはひとり海岸でその竜巻雲と水平線の写真を撮っていた。黒い雲の合間で時折稲妻が光る。海岸は雷も雨も風もよける場所がないので、重い機材を抱え校庭へ戻る。その途中、雷が三脚に落ちないようにと全身びしょ濡れで怯えていた。撮影などもうどうでもよかった。

その時……

ついにその時はやってきた。上空で太陽と月が完全に重なったのだろう。皆既現象だ。分厚い雲のせいもあって辺りは闇に包まれていく。急激に気温が下がり、道路を叩き付ける雨音や強い風で揺れる木々の音、目の前の全てが闇に消える。それは完全な闇ではないが夜よりも暗く、どこまでも深い、漆黒の闇。辺りは嵐のはずなのに静かに感じた。今までに生きたことのない光。

今回、国内で皆既日食を良い状態で、しかも有人島で観測できたのは鹿児島県の喜界島だけだった。他には小笠原沖の無人島、硫黄島や太平洋沖の観測ツアー船など。飛行機で雲を抜け上空から観測した映像などはその日のニュースで放送された。その日世界中が皆既日食でわいた。

今回の悪石島来島において鹿児島県での観測が確率的に微妙なことは例年の天候からわかっていた。ただマドロスは今世紀最長時間観測できる皆既日食をどうしても悪石島で観たかった。もしも太陽と月が見えないかもしれない……としても、この島にいたかった。これまで11年日本の島を撮り続けてきて、皆既日食のその日に主役である日本の島にいないことが想像できなかった。

人口70名あまりの島にその5倍もの人々が訪れることがどれだけ大変だったことだろう。水や食料、電気やトイレなどが圧倒的に足りていないのだ。受け入れ態勢を整える為に島民の方々はもちろん、役場の方々やボランティアの方々、ツアー会社など全ての関係者は6分25秒の皆既日食の為に2年以上もの長い時間をかけ準備してきた。感謝してもしきれない。

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追伸
最後に自治会長の有川和則様、知人として招いて頂き、その上テントや食事まで提供して頂いた有川ちず子様、大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。

平成21年8月20日
マドロス陽一