第117回「ついに母となった、妻よ!」
第117回「ついに母となった、妻よ!」
2015年6月22日 月曜日僕が和室に入った時には妻はバランスボールに上半身をもたれかかりながら、苦しそうな声を出していた。助産師さんの産まれる宣言を受けて覚悟を決めた僕は、家に取りに行っていた「ある荷物」を取りだした。それはヘルメットカメラ。
妻は出産する時に、CCDカメラ付きのヘルメットをかぶって産まれる時の自分の顔を撮影したいと希望していた。そしてそれをイッテQで放送してほしいと。
理由は二つ。子供に将来その映像を見せてあげたい。もう一つは、自分は芸人でありリアクション芸人である。尊敬する出川哲朗さんやダチョウ倶楽部さんにも出来ないリアクション。出産中の顔を、リアクション芸人の相棒であるヘルメットカメラで撮影すること。出産中にヘルメットカメラをかぶるなんてけしからんと怒る人もいるでしょう。出産をなんだと思ってるんだ! という人もいるでしょう。でも、妻は女性でありそして芸人である。
もちろん母子ともに安全に産まれることが一番である。それを撮影することによって、とてつもなく悲しい記録が残ることになってしまう可能性だってある。だけど、妻はやってみたいと言った。チャレンジしてみたいと言った。
バランスボールの上に上半身を乗せて、聞いたことない声を絞り出している妻を見て、思った。無理だ。ヘルメットカメラをかぶるなんて。無理だと思ったが、妻の希望だ。僕は陣痛で苦しむ妻にヘルメットカメラを出して聞いた。「かぶるの無理だよね」と。妻は返事をしない。横でお母さんが「無理だよ!!」と厳しく言ってくる。僕だってわかっている。無理だって。でも、でも本人が希望したことだったから聞いたんだ。
妻はその後、布団の上で横になった。横のポーズが自分的には少し楽で、このまま産みたいと言った。
僕はカメラを回すことにした。ヘルメットカメラをかぶって出産に挑む妻を僕がカメラで撮ることになっていたからだ。妻はヘルメットカメラをかぶってはいない。が、出産を迎える妻の姿を撮影しておきたい。そう思った。ヘルメットカメラは妻の顔の近くに置いた。かぶってほしいわけじゃなく、ヘルメットカメラ魂だけ近くに置いておこうと思ったのだ。
横になり助産師さんに言われたとおりに呼吸を整える。これから10ヶ月以上妻の体の中にいた子供が出てくる。沢山の人が経験していることだけど、信じられない。
バランスボールの上では悶絶していた感じだったが、横になってからはリズムを摑まえてきたようだ。
すると妻は。目の前にあるヘルメットカメラを見た。そして。僕にはうなずいたように見えた。「いくぞ」と。妻は自らの手でヘルメットカメラを取り、かぶったのだ。僕は妻の取った行動が信じられなかった。この状況でかぶるなんて。
こんな時にヘルメットカメラをかぶろうとした妻を非難する人もいるだろう。だけど。芸人という仕事は血液まで芸人になっていく。母親になる女性であるが芸人である。カメラをかぶって、その顔を残したい。その顔を、いつか子供に見せたい。その気持ちが勝った。
僕はヘルメットをかぶった妻の姿が、お腹の中の子供に母親として、芸人としての根性を見せているような気がした。お腹の子に「お母さんの職業は芸人だよ」と言ってるような気がして、だから涙があふれそうなのをこらえた。
妻は自らの手でヘルメットをかぶり自らの手でカメラをスタートさせた。
するとひとつ奇跡が起きた。目の前にある小さなカメラのレンズに向かって妻の視点がギュっと寄った。
視点が定まることによって、さらに落ち着き集中力が増していったのだ。そんな妻に助産師さんも「いいですよ! 上手、上手」と叫んでいた。助産師さんが妻のオマタを見ると、頭が見えてきたと言っている。背中をさすったり手を握ったりして、妻と一緒に呼吸をあわせたりして、妻の顔を見つめた。
結婚して13年、あっという間だった。思い出してみても、笑った。沢山笑った。悲しいこともあったけど、妻と出会えて沢山笑えた。
そんな妻は、女芸人・大島美幸は今、目の前で母親になろうとして大きな声を出している。
助産師さんが「出てきますよーーー」と叫ぶと妻が最後のいきみ。妻のオマタから見えていたわが子の頭が、まるで土の中から割れて出てくるように。
出てきた。
とにかく出てきた。
僕はしっかり目に焼き付けた。ヒトが。人の体から出てきた。自分と妻の遺伝子を持ったヒトが、妻の体から出てきた。
髪の毛が生え揃って手と足もでかい。ただでさえ僕と妻は似ているけど、そんな僕と妻に似ている「ヒト」が、「命」が出てきた。
人生で初めて感じるその思いは、どの感情にも属さなくて。嬉しさとかそういう感覚を、余裕で超えていて。とにかく妻に早く見てほしい。自分の体から出てきたわが子に会ってほしいと思った。
そして体から出てきた、その「命」を助産師さんが手で抱え上げて妻の顔の横に置いた。
妻は産んだ直後に我が子と対面した。ヘルメットカメラをかぶったまま、我が子と対面した。妻は泣いた。泣きに泣いた。妻は泣きながら目の前の「命」に言った。「ありがとう」と。
その「ありがとう」は、13年間ずっと一緒にいた女性が母になった瞬間だった。