「ブス恋♥父から学ぶこと。」 Vol.183(最終回)
鈴木おさむエッセイ ブスの瞳に恋してる♥ 第183回(最終回)「父から学ぶこと。」
父は76歳になった。もう2年ほどがんと闘っている。この原稿を書いている時点では随分良くなっている。実は1年以上前に、医者から余命宣告をされた。僕と父、そして親戚の人にも一人立ち会ってもらい、病院の先生に話を聞いた。そこで結構厳しいことを言われて、この先の治療の話も説明された。そこで父は言った。「先生、とにかくどんな治療でもお願いします」と。父が目の前で「生きたい」という思いを強く訴えた。
ふと思うと、僕の父は僕の前で色んな感情を爆発させることは少なかった。僕のことを本気で怒ったのも一回。喜ぶのも、悲しむのも、怒るのも、その感情をおさえる人だった。
もしかしたら父親ってそういうものなのかもしれないが。だからこそ、父が強く、生きたい気持ちを訴えた時には、説明しようのない気持ちが僕の心の中に生まれた。
それから数カ月たち、今度は別の病院で、さらに厳しい宣告がされた。その時は僕の姉が病院の先生から説明を受けたのだが、姉が泣きながら電話してきた。
父ががんになった時。当然、死んでしまうかもしれないという選択肢が頭の中に浮かんだが、自然とそれを隅っこにおいやっている自分がいた。排除しようとしている都合のいい自分。
それが医者の余命宣告により具体的になってくる。父がこの世からいなくなってしまうかもしれない。
姉からその話を聞き、なるべく息子を父に会わせたいと思った。母に言われた。笑福に会うとお父さんは本当に元気が出るのだと。
父は感情を大きく顔に出さないと思っていたのだが、笑福が生まれてからは、本当にうれしそうな顔を見せる。
免疫が上がれば病気と闘える体になる。ある一日の免疫がグっと上がったことにより、病状が変わることだってあるだろう。
このタイミングで、笑福が僕らのもとに来てくれたのは運命だったのかもしれない。父に元気を与えるために。
父は、抗がん剤などを含めて治療を行った。多分、辛いこともあったはずだが口に出さない。
そして、薬があったのか、今、奇跡的にかなり良くなり始めている。本当に感謝です。
そんな中で思う。父は僕のことをどう思っているのか? 面と向かって聞いたこともないが、父が病気になってから考える。
僕の姉の次男は、生まれてからずっと大きな障がいがある。父は、自分の娘の子供が障がいとともに生きるとなった時、どんな気持ちだったのだろうか。その次男は高校生の年齢になり、話すことは出来ないが、父との距離感が独特だ。本当にバリアフリーというか。
次男も父のことをすごく好きなことがわかる。父が僕の姉のことと姉の家族のことを、父親としてつねに静かに笑顔で受け止めていることを僕は本当に尊敬する。
そして僕のことをどう思っているのか? 時折、「本当にありがとうね」と言ってくれるが、それが照れるし、なんだかちょっと刺さる。
僕は笑福が生まれて、笑福を毎日抱いて。ある時、笑福が、僕のおっぱいを噛みながら寝ていた時。僕のおっぱいからも母乳が出たらいいのにと本気で思った。パパはママにはなれないんだと本当に思った。僕の父も僕と同じようなことを考えたことがあるのかなと思ったりする。僕も父の胸を噛んだ時があるのかなと想像したりする。それを想像すると、改めて僕は父の子供なんだなと思ったりする。
父を見ていると、父親にしか出来ない受け止め方があるんだなと思う。それは自分が子供の時より、大人になってからのほうがよりわかる。
僕は放送作家一本でやっていきたいと21歳で決めた。まず母に相談したら、お父さんに言いなさいと言われた。放送作家だけでやっていくには大学を辞めなければならなかった。東京に行かせてくれたのも、大学に行かせてくれたのも父だ。それを裏切るような形になる。だけど父は僕の決断に対して、止めることはしなかった。人生のポイントで受け止めてくれるのは父親。
笑福がいつか大きくなり、人生のポイントに立った時、僕に意見を求められる時もきっとくる。その時自分はなんて言うのか? 言えるのか?
これから父と僕が辿っていく人生を、今度は僕が父親として笑福と辿っていくことになる。
僕は父親だけど、まだ子供なんだ。そんなことに気づくと、僕は子供としてまだ父から学ぶことがあるし、まだ学べる状況にあることを感謝する。