第91回「出川さん&上島さんの言葉で妊活突入!」
第91回「出川さん&上島さんの言葉で妊活突入!」
2014年5月6日の仕事を終え、妻が芸人の仕事を休止し、いよいよ妊活休業に入りました。16年間やってきた芸人という仕事をいったん、辞めたのです。
妻は子供の頃にイジメられていました。イジメられていた毎日から脱却したのが「笑い」でした。笑わせたらイジメられなくなると。ここから妻の体に芸人の血が流れ始めます。ワインの血ではなく芸人としての血。
そして高校を卒業し、吉本のNSCというお笑いスクールに入り、芸人を始めたわけです。
芸人になった頃から体を張った芸風の多い妻。リスペクトしている芸人さんは出川哲朗さんとダチョウ倶楽部さん。この二人を神と崇めています。とにかく体を張って笑いを取りたい。それが妻の芸人としての目標。
子供の頃から大好きでたまらなかった番組、『お笑いウルトラクイズ』に出演が決まった時に嬉しそうに報告してきた顔、覚えています。出演し、ブラジャーとパンティーだけで逆バンジーのヒモに吊るされて、数々のレジェンド芸人さんに笑ってもらえた。
あの日、家に帰ってきて、全力で戦い切った顔で、嬉しそうな寝顔をしていたのも昨日のことのように覚えています。
初めての『お笑いウルトラクイズ』に行く日の朝。正直僕は心配だった。だって、『お笑いウルトラクイズ』といえば、派手なアクション要素のゲームもある。怪我の可能性だってある。でも、それに出るのが夢だと言い切ってた妻を笑顔で送り出さなきゃいけないと思った。妻はその頃、言っていたんです。「体を張って、事故とかにあって、むぅとお別れするのは悲しいけど、それで死んだとしたら本望だ」と。
そんな妻が出かける直前、玄関で、どうせ汚れるからと汚い靴を履いて行こうとしたときに、僕は「憧れの番組に出るんだから、新しい靴を履いて汚してこい」と言いました。僕なりの強がり。それを知った出川さんが僕に会う度に「あれ、いい話だよ〜」と滑舌悪い感じで言ってくれます。
芸人という職業は一度なってしまったら、辞めても、死ぬまでその血液には芸人の血が流れていると思います。
そんな妻が芸人という仕事を一度やめて、妊活休業に挑むことになった。
妻が雑誌で言っていたので、僕もここで書かせていただきますが、2008年の流産に続き、2010年に2度目の流産をしました。
2回目の妊娠。今度は大丈夫と思った。だけど、仕事で一緒に検診に行けなかった日だった。一回目と一緒。僕が行けなかった日に。僕は遅れて病院に駆けつけた。泣いていた妻。だけど、妻はすごかった。妻は強くなっていた。たくましくなっていた。
その中で思ったんだと思います。あの時ですね。たぶんあの時が一つのきっかけだったのだと思います。子供を作るなら、仕事をしながらじゃなく、一度休んで子供を授かることに挑んでみたいと。
芸人という大好きな仕事だからこそ、「あの仕事のせいでこうなっちゃったのかな」とか思いたくないはずなんです。
よく、恋愛で好きだから別れるなんて言いますが、そんな感じなんでしょうか。
芸人であるけど、女性です。女性ですけど芸人です。その間でいろいろな悩みや葛藤があったと思います。そして妻は妊活休業に入ることを決めた。芸人が大好きだからこそ。
後悔の気持ちがないかと言ったら0ではないはずです。寂しい思いもあったはずです。
でも、最後の仕事となった『イッテQ!』の収録で、出川さんは妻に言ってくれたそうです。あえて今まで言ってなかったこと。それは。出川さんと上島さん二人で、「俺たちのリアクション芸を継ぐのは大島だな」と本気で話したことがあったらしい。そのことを妻が休業前最後の収録となったスタジオで言ってくれた。
収録を終えて帰ってきた妻は、そのことを嬉しそうに僕に話しました。話してる途中に、嬉しすぎて目に涙がにじんでいました。
妊活休業に入るまでに残っていた現時点での芸人への未練。それを最後の最後に「ここまでやりきった」という思いに昇華させてくれたのは憧れの出川さんの言葉だった。嬉しそうに語る妻を見て、僕も本当に嬉しかった。
というわけで、2014年、妻は芸人・大島美幸を休業して、鈴木美幸として妊活休業に入りました。
とりあえず。いったん、芸人・大島美幸様、お疲れさまでした。
妻は子供の頃にイジメられていました。イジメられていた毎日から脱却したのが「笑い」でした。笑わせたらイジメられなくなると。ここから妻の体に芸人の血が流れ始めます。ワインの血ではなく芸人としての血。
そして高校を卒業し、吉本のNSCというお笑いスクールに入り、芸人を始めたわけです。
芸人になった頃から体を張った芸風の多い妻。リスペクトしている芸人さんは出川哲朗さんとダチョウ倶楽部さん。この二人を神と崇めています。とにかく体を張って笑いを取りたい。それが妻の芸人としての目標。
子供の頃から大好きでたまらなかった番組、『お笑いウルトラクイズ』に出演が決まった時に嬉しそうに報告してきた顔、覚えています。出演し、ブラジャーとパンティーだけで逆バンジーのヒモに吊るされて、数々のレジェンド芸人さんに笑ってもらえた。
あの日、家に帰ってきて、全力で戦い切った顔で、嬉しそうな寝顔をしていたのも昨日のことのように覚えています。
初めての『お笑いウルトラクイズ』に行く日の朝。正直僕は心配だった。だって、『お笑いウルトラクイズ』といえば、派手なアクション要素のゲームもある。怪我の可能性だってある。でも、それに出るのが夢だと言い切ってた妻を笑顔で送り出さなきゃいけないと思った。妻はその頃、言っていたんです。「体を張って、事故とかにあって、むぅとお別れするのは悲しいけど、それで死んだとしたら本望だ」と。
そんな妻が出かける直前、玄関で、どうせ汚れるからと汚い靴を履いて行こうとしたときに、僕は「憧れの番組に出るんだから、新しい靴を履いて汚してこい」と言いました。僕なりの強がり。それを知った出川さんが僕に会う度に「あれ、いい話だよ〜」と滑舌悪い感じで言ってくれます。
芸人という職業は一度なってしまったら、辞めても、死ぬまでその血液には芸人の血が流れていると思います。
そんな妻が芸人という仕事を一度やめて、妊活休業に挑むことになった。
妻が雑誌で言っていたので、僕もここで書かせていただきますが、2008年の流産に続き、2010年に2度目の流産をしました。
2回目の妊娠。今度は大丈夫と思った。だけど、仕事で一緒に検診に行けなかった日だった。一回目と一緒。僕が行けなかった日に。僕は遅れて病院に駆けつけた。泣いていた妻。だけど、妻はすごかった。妻は強くなっていた。たくましくなっていた。
その中で思ったんだと思います。あの時ですね。たぶんあの時が一つのきっかけだったのだと思います。子供を作るなら、仕事をしながらじゃなく、一度休んで子供を授かることに挑んでみたいと。
芸人という大好きな仕事だからこそ、「あの仕事のせいでこうなっちゃったのかな」とか思いたくないはずなんです。
よく、恋愛で好きだから別れるなんて言いますが、そんな感じなんでしょうか。
芸人であるけど、女性です。女性ですけど芸人です。その間でいろいろな悩みや葛藤があったと思います。そして妻は妊活休業に入ることを決めた。芸人が大好きだからこそ。
後悔の気持ちがないかと言ったら0ではないはずです。寂しい思いもあったはずです。
でも、最後の仕事となった『イッテQ!』の収録で、出川さんは妻に言ってくれたそうです。あえて今まで言ってなかったこと。それは。出川さんと上島さん二人で、「俺たちのリアクション芸を継ぐのは大島だな」と本気で話したことがあったらしい。そのことを妻が休業前最後の収録となったスタジオで言ってくれた。
収録を終えて帰ってきた妻は、そのことを嬉しそうに僕に話しました。話してる途中に、嬉しすぎて目に涙がにじんでいました。
妊活休業に入るまでに残っていた現時点での芸人への未練。それを最後の最後に「ここまでやりきった」という思いに昇華させてくれたのは憧れの出川さんの言葉だった。嬉しそうに語る妻を見て、僕も本当に嬉しかった。
というわけで、2014年、妻は芸人・大島美幸を休業して、鈴木美幸として妊活休業に入りました。
とりあえず。いったん、芸人・大島美幸様、お疲れさまでした。
今回の格言
女性の仕事への未練を解放できるのは彼や夫ではなく、リスペクトしている人物のみである
★大島さんが妊活休業に入るまでに残っていた芸人への未練は、憧れの先輩である出川さんと上島さんの言葉で、「ここまでやりきった」という思いに昇華した……。こんな「ちょっといい話」は単行本『ブスの瞳に恋してる』シリーズ(1~4)にも!
鈴木おさむ
すずき・おさむ/放送作家。妻・大島美幸(森三中)との子育てもまる3年。長らくご愛読ありがとうございました。連載をまとめた『ママにはなれないパパ』が、絶賛発売中です!