アメトラと高麗茶碗。 Editor’s Voice No.236
Editor’s Voice
アメトラと高麗茶碗。
「茶の湯への道」特集号のファッションページ(P126〜)は、ジャーナリストのデーヴィッド・マークスさんの茶室も備えた新居で撮影させていただきました(ご本人も出演!)。デーヴィッドさんは著書『アメトラ 日本がアメリカンスタイルを救った物語』の中で、1970年代以降、本国で消え去りつつある正統派アメリカンスタイルを、『ポパイ』をはじめとする日本のメンズファッション誌やセレクトショップが、いかに日本で定着させてきたかを生き生きと描かいています。それは、アイビーやプレッピーといったアメリカ(とイギリス)の日常的なファッションを日本の若者たちが厳密にルール化し、さらに独自のシルエットや着こなしを追求し、最終的には本家であるアメリカ人がそのスタイルを逆輸入するほどになった、という感動的な!物語です。この本を改めて読んでいると、今回の特集で取材させていただいた三井記念美術館「茶の湯の名碗 高麗茶碗」展を思い出しました。高麗茶碗とは桃山時代などに朝鮮半島から輸入されてきたもので、当時朝鮮半島で日常的に使われていた器の中から利休などの目利きたちが「侘び寂び」センスで見出し、名碗となったものが多くあります。なにげない器の持つ個性的な歪み、偶然生まれた釉薬の模様などに、日本の茶人たちは美しさを見出し、茶会などで主役の茶碗として使い大切に保管してきたのです。中国や欧米から強い影響受けてきた日本文化からすると特別なことではないと思いますが、ひょっとして、1970年代にボダンダウンシャツに憧れた若者と、16世紀に高麗茶碗に見惚れていた茶人は、同じような感じで美意識が揺さぶられていたのだろうか??と思うと、「茶の湯」がぐっと身近に感じられました。
高麗茶碗には、日本人が見立てたものの他に、そもそも茶の湯のために焼かれたもの、その中にも対馬藩が係わっていたものや、その他のルートにのよるものなど、細かく分類されています。しかし、長年の研究でも判別の難しい茶碗があるとのことで、美術館の方からは「観る人たちそれぞれの知識と感性で見極めてほしい」との言葉がありました。この茶碗のどこに美しさを感じるか?目利きへの道はおそらく遠いですが、日本文化への感性も重要である茶の湯への第一歩として、三井記念美術館で高麗茶碗を目利き気分で眺めるのはいかがでしょうか?