万博の中心でNOを叫ぶ、 パンクなコスモポリタン。 Editor’s Voice No.254
Editor’s Voice
万博の中心でNOを叫ぶ、
パンクなコスモポリタン。
岡本太郎のこと、知ってる?
そう聞いて、多くの人がまず挙げるのは、〈太陽の塔〉ではないでしょうか。
シンガーソングライターのあいみょんさんが太郎と出会ったきっかけが〈太陽の塔〉なのはよく知られることであり、そのことはたっぷり話をお聞きしたので本誌をご覧いただくとして。ここではその〈太陽の塔〉が生まれた舞台、1970年の大阪万博と、それを取り巻く日本の状況にフォーカスしてみたいと思います。
大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。高度成長期に沸く日本は、技術と産業の進化によって、人々の生活が豊かになる。と信じ切っていました。
そこに建築家・丹下健三の誘いを受けて参加したのが岡本太郎です。
一方で当時は公害問題が表面化したり、学生運動が激化していた「政治の季節」。アヴァンギャルドな思考を持った人たちの中には、万博に進んで参加した太郎や他の芸術家に「体制に異議申し立てをしてきたはずの前衛芸術家が国家イベントに参加するとは」と後ろ指を指して非難する向きもあったといいます。
そこに太郎は、こんな言葉で応答しました。
「反博?なに言ってんだい。いちばんの反博は太陽の塔だよ」
太郎は「私の作ったものは、およそモダーニーズムとは違う。気どった西欧的なかっこよさや、その逆の効果をねらった日本調の気分、ともども蹴とばして、 ぽーんと、原始と現代を直結させたような、ベラボーな神像をぶっ立てた 」『日本万国博 建築・造形』(恒文社) と振り返る〈太陽の塔〉を万博会場中心に突き立てたのです。
どうでしょう。痛快ではないでしょうか。万博のベースとなっている安直な進歩主義、西欧主義に対して、当事者の立場から、もっともシンボリックな形でアンチを唱えることを実現してしまったのです。
今となっては万博が行われた跡地は広大な公園になり、進歩を謳って世界各国から錚々たる建築家が設計したモダンなパビリオンや建築群は消え、太郎の〈太陽の塔〉だけが当時のまま残ります。
今回のロケで〈太陽の塔〉を訪れたあいみょんさんも「現代よりも50年前の太陽の塔の方が新しい気がするのは、ちょっと負けた感じがしますね。人類って、やっぱり進歩していないかも」と話していました。
パリで絵画(ピカソの出会い!)や民族学(マルセル・モースに師事!)、写真(ブラッサイから手ほどきを受けた!)を学び、帰国後は権威的な日本の画壇と戦い、自ら結成した「日本デザインコミッティ」でも剣持勇や柳宗理ら錚々たる面面を前に「グッドデザイン」的なものに異を唱える。万博で丹下健三から声をかけられれば、丹下のモダンな屋根を突き破る案を提案する……。そしてそれらを全て成功・実現してきた。
突き抜けた知性をベースに、時にタレントのようなペルソナを使いこなしながら、ジャンルや国家の垣根を超えて人間関係を築き、強いメッセージを様々な手段で発信し続けた太郎。その姿に、しびれずにはいられません。
「芸術は爆発だ!」のポップなイメージばかりが先行してしまいがちですが、実際には自らの作品や言説を通して常に異議申し立てをしてきたパンクな人だったのでしょう。特集を校了した頃には私も、知ったつもりになっていた太郎像がかなり更新されていました。
特集で紹介できた太郎の姿は、ほんの一部に過ぎません。でも、この一冊が「多面体」岡本太郎に興味を持つきっかけになれば幸いです。