ザハと香港と日本の”深イイ話”。 特集内容 No.205
ザハと香港と日本の”深イイ話”。
祐真朋樹さんの連載「Miracle Closet」の拡大版である「Fashion Special」。この度はあのザハ・ハディドが設計した、香港理工大学デザイン学科のキャンパス〈ジョッキークラブ・イノベーションタワー〉を舞台にしたファッションストーリーをお届けいたします。
しかし、なぜ香港のザハ建築でファッションなのかというと、曲線を多用したスペイシーな空間は最新モードと相性が抜群なのはもちろんですが、彼女の初期のキャリアにおいて香港と日本は重要な位置を占めているからです。
ザハ・ハディドは1950年にイラクの首都バグダッドに産まれ、77年に渡英。ロンドンのAAスクールを経てレム・コールハースの設計事務所で働き始めた後、80年に独立したのですが、彼女が世に出るきっかけとなったのは、香港のビクトリア・ピークに建設が予定されていた高級クラブのコンペであり、審査員としてザハをイチオシしたのが磯崎新だったのであります。
さらに独立後の10年間は設計案を手掛けたプロジェクトのどれもが計画の途中で中止となってしまったため、”アンビルトの女王”と呼ばれるようになりましたが、90年に自身初の実現したプロジェクトとして完成したのが、なんと〈ムーンスーン〉という札幌のレストランだったのです。
2012年11月に行われた新国立競技場のコンペでザハ・ハディドの名はお茶の間に一躍知れ渡ることになりました。一方で、当時、日本で唯一ザハの空間を体験できる場所だった〈ニール・バレット青山店〉が13年8月で閉店しまい、さらにザハ自身が16年3月に亡くなってしまったため、ザハ建築はその知名度に反して我々日本人には残念ながら遠い存在となりつつあります。
そこで〈ジョッキークラブ・イノベーションタワー〉。ここは日本から程近い香港の九龍にそびえ立ち、一般の方も自由に見学できる開かれたキャンパスとなっています。せっかくザハのことを知ったのに、その建築を体感したことのない方は、香港を訪れた際はぜひ足を運んでみてください。そして、合掌。