From Editors No. 773 フロム エディターズ
From Editors 1
ラジオは日々の生活の中に
やさしく句読点を打ってくれます。
パーソナリティとスタッフが何時間も調べ、自らのコトバで話すラジオのニュース。たった1行で流れるニュースサイトで得られる一面的な答えでなく、立ち止まって“時代を考える”ことを教えてくれます。
音楽はどうだろう。パソコンで検索すれば、聴きたい曲はすぐに見つけられる(かもしれない)。でも、聴いたことのない名曲と運命的な出会いを求めるなら。廃盤になってオークションサイトでも買えないレコードも、DJの私物のおかげ(本誌P.44参照)で聴くことだって出来る。探せば見つかるからいいや、後回しにする時代だからこそ、ラジオが持っている一期一会の強さがより際立つ気がしています。
ラジオの番組構成は、分単位で構成されていているので、家で仕事をしている人は、時計代わりに使っているともいいます。「ラジオは農具です」、農家のオジさんが発したというコトバには、けっこう響きました。(本誌P.60参照)。
なにもかもが便利になったからこそ。見落として通りすぎてしまうものを拾ってくれるのが、ラジオなのだと思うのです。しかも、この5年の間に、パソコンやスマホでラジオが聴けるradikoという“便利”な要素もとりこんでしまった。
なかなかどうして、ラジオはやっぱり出来る子です。
そういえば、受験勉強をしている時、いかんいかんと思いつつ聴いていたのは『とんねるずのオールナイトニッポン』。大爆笑して、我に戻り、いそいそと参考書にもどる。時間と心に句読点を打つ。後腐れがないのも、ラジオの出来るところですね。
From Editors 2
鶴瓶さんのラジオ番組が
リスナーを虜にする理由(わけ)。
radikoの登場、ツイッターやUstreamと連動する番組が増えるなど、ラジオを取り巻く環境は大きく変わりましたが、ラジオは“声”と“音”のメディアであることは変わりません。パーソナリティの表情や、身振り手振りを見ることはできません。スピーカーやイヤホンを通じて流れてくる声の主の容姿が分からない場合も多いわけです。徹底的に“引き算”されたメディアで顕れるのは、鶴瓶さんが語る通り、話し手の“本質”なのかも知れません。
鶴瓶さんは続けます。「僕がやっていることは全部ラジオなんです。テレビのバラエティ番組でやっていることもラジオ。しゃべっているのを勝手にカメラで撮っているようなもの」。
インタビューが終わってから、『ヤングタウン日曜日』の収録現場にお邪魔しました。一段落ついたところで、鶴瓶さんがスタジオにいる私たちを見つけ、近づいてきました。「な! インタビューで言うたとおり、テンション高めやろ?」と語る口調はラジオの収録そのままです。その後、私たちが荷物をまとめていると聞こえてきたのが、鶴瓶さんと他の出演者が控え室で談笑する声。こちらも番組収録の延長戦のような雰囲気です。テレビがラジオを勝手に撮ったものなら、ラジオは鶴瓶さん自身と言えるのかも知れません。そして、鶴瓶さんの番組が圧倒的に面白いのは、鶴瓶さんの“本質”が面白いからだと思うのです。