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刀剣は「流派」が面白い。あなたなら誰に刀を作ってもらう? Special Contents BRUTUS No.877

Special Contents 刀剣は「流派」が面白い。あなたなら誰に刀を作ってもらう?

それぞれの時代、地域で、個性豊かな刀を打ってきた、名だたる名工たち。剛毅を求めるか、優美を表現するか。冴え輝く地鉄に惹かれるか、華やかに乱れる刃文を愛するか。あなただけの一振を鍛えてもらうなら、どの刀工を選ぶ?

伯耆安綱

神話の地より出でたる刀、鬼を切る。

ほうきやすつな伯耆安綱
活動期:平安時代後期 活動地:伯耆国(鳥取県西部)
三条宗近と同時代に、伯耆国で活動した刀工。中国地方は古墳時代後期から製鉄遺跡が残り、八岐大蛇(やまたのおろち)伝説を製鉄民と結びつける解釈も含め、鉄と縁が深い地域でもある。その地で打たれた安綱の作は、平安時代の刀工としては比較的現存作が多い。中でも藤原道長に仕える武将の源頼光が、大江山で酒呑童子を退治したという、人口に膾炙(かいしゃ)した物語を背負う《童子切》が、最高傑作として広く世に知られている。京でも名工・安綱の名は知られ、伯耆鍛冶は安綱の子や弟子と考えられている真守(さねもり)、安家、有綱などが続く。しかしやがて衰退に向かい、備前鍛冶のような繁栄は見なかった。


太刀 銘安綱(名物童子切安綱)
[代表作] 国宝
太刀 銘安綱(名物童子切安綱)
刃長80.0㎝、反り2.7㎝というプロポーションは、《三日月宗近》とほぼ同寸ながら、童子切の方はやや黒ずんだ、迫力のある地鉄に変化に富む小乱れの刃文を焼いており、より勇壮で剛毅な雰囲気が感じられる。豊臣秀吉、徳川家康・秀忠が所持し、越前藩主の松平忠直に贈られ、のちに津山藩(岡山県)の松平家に伝わった。平安時代、刃長80.0㎝、東京国立博物館蔵。
Image: TNM Image Archives



長船長光

町工場からナショナルメーカーへの飛躍。

おさふねながみつ長船長光
活動期:鎌倉時代中期 活動地:備前国邑久(おく)郡長船村(岡山県瀬戸内市)
真金(まがね)吹く、とは万葉集にも現れる、吉備(備前・備中・備後の三国)にかかる枕詞(まくらことば)。古代における最先端技術である製鉄を寿(ことほ)ぐ言葉で、日本最大の製鉄、刀剣産地であった地域にふさわしい。平安時代から刀工たちの活動が認められ(古備前)、鎌倉時代に福岡一文字派が起こり、中期には長船派が台頭する。大規模で結束の固い組織力を誇る長船派の祖は光忠。続く長光の活動期は、元寇と重なり、恐らくは時の幕府から大量注文を受けた長光が、組織を整備し、高品質の刀を大量に生産する体制を整えたのだろう。古刀の中でも長光は随一の数が残り、国宝6点、重文28点の指定を受ける。


太刀 銘長光(名物大般若長光)
[代表作] 国宝
太刀 銘長光(名物大般若長光)
室町時代にこの太刀が銭600貫と代付け(評価)されたことから、600巻からなる大般若経になぞらえて《大般若長光》と称された。13代将軍・足利義輝から三好長慶が拝領、やがて織田信長の所有となり、姉川合戦の功で徳川家康へ、さらに長篠合戦の功で奥平信昌へ与えられた。猪首鋒(いくびきっさき)の豪壮な太刀姿に、刃文は華やかな大丁子乱れを焼く、貫禄十分な作。鎌倉時代、刃長73.6㎝、東京国立博物館蔵。
Image: TNM Image Archives



相州正宗

日本刀の代名詞にして一代の改革者、正宗。

そうしゅうまさむね相州正宗
活動期:鎌倉時代末期〜南北朝時代初期 活動地:相模国鎌倉(神奈川県鎌倉市)
鎌倉時代後期に、粟田口派の系譜を引くと思われる新藤五国光(しんとうごくにみつ)が現れるまで、鎌倉で活動した刀工の名は知られていない。そして国光の弟子こそ、長く名刀の代名詞として日本刀の世界に君臨してきた、相州正宗だ。短刀《包丁正宗》の身幅の異様に広い造込(つくりこみ)や、うねるような乱刃(みだれば)の表現を創始し、「用の美」に収まらない、まったく新しい美の表現を達成した。江戸時代には正宗とその息子が登場する浄瑠璃『新薄雪物語』が大当たりを取り、庶民にも名が知れ渡った。蝦蟇(がま)の油売りの口上にも、「ここに取り出だしたるは我が家の家宝、正宗が暇にあかして鍛えたる天下の名刀」と言及される。


刀 無銘 正宗(名物観世正宗)
[代表作] 国宝
刀 無銘 正宗(名物観世正宗)
身幅はやや細いが、地鉄の玄妙さ、沸(にえ)と呼ばれる粒子のきらめきが目を奪う。茎(なかご)を切り詰めて寸法を短くし、梵字などの彫り物が残る。能楽の観世家が所持していたため《観世正宗》と称され、徳川家康が観世家から召し上げたとされる。正宗は在世中から高い評価を得ていた一方、銘の入った作品が非常に少ないため、偽物が多いことでも有名。鎌倉時代、刃長64.4㎝、東京国立博物館蔵。
Image: TNM Image Archives



関兼定

戦国に覇を唱えた関鍛冶の雄、ノサダ。

せきのかねさだ関兼定
活動期:室町時代後期 活動地:美濃国関(岐阜県関市)
鎌倉時代末期に大和国の手掻包氏(てがいかねうじ)が移住し、兼氏と改名したところから始まると伝えられる新興の美濃鍛冶は、戦国時代に入ると備前に比肩する刀剣の大産地となった。これは斎藤道三や織田信長、徳川家康など有力な戦国武将が割拠し、彼らの需要に応える合理的な製造システムを確立していたから。兼定を名乗る刀工は美濃に多いが、著名なのは銘の定の字をウ冠の下に之字を切ることから「ノサダ(之定)」と呼ばれた名工だ。室町時代中期に関を拠点に活動し、打刀(うちがたな)を中心に、脇差や短刀も制作。また「和泉守」の銘のある通り、刀工として初めて受領名を授かったことも特筆される。


刀 銘藤原利隆作(花押)/関住兼定同作
[代表作]
刀 銘藤原利隆作(花押)/関住兼定同作
美濃国の守護代を務めた一族の藤原利隆と、兼定が共作した作品。利隆は京の公家とつながりが深く、兼定の受領名授与に尽力したものと思われる。反りは少なく、重ね(厚さ)は薄く、使い勝手を重視した作りで、互(ぐ)の目丁子風の刃文を焼く。両者の年齢が近く、引退も同時期であることから、非常に深い親交で結ばれていたとも推測されている。室町時代、刃長64.0㎝、岐阜市歴史博物館蔵。
刀剣撮像:中村 慧



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