From Editors No. 789 フロム エディターズ
From Editors 1
今日無事?
男の定義、男とは何か、男らしさとは何か? と特集についてあれこれ考えているうちに、「男が残した言葉」に気持ちを取られてしまった。きっかけは古書店の図録で見た、作家・山口瞳の言葉「今日無事」なのだけれど。
「きょうぶじ」「こんにちぶじ」、漢文読みをして「きょうことなき」。話をうかがった方によって読み方が違ったが、山口瞳が晩年によく色紙に記した言葉であり、もとは仏教用語という。今日一日無事であった、とはなんとも素敵な言葉ではないか。山口瞳は著書『行きつけの店』が有名なように、全国津々浦々に長年通い愛したつづけた料理店やバーを数多く持ち、いくつかの場所では彼が残したこの言葉(色紙)が今も飾られ客を迎えている。ある店では「今日無事」の前で酒が交わされ、ある店では「今日無事」を背中に寿司をツマむ人々がいる。客が山口を知るかどうかはさておき、その言葉がそこにある。ただそこにある。そのことにグッと来てしまうのだ。
湯島に〈シンスケ〉というとても素敵な日本酒酒場があるのだが、ここには「決断一瞬」の色紙がある。相撲の行司、35代木村庄之助の言葉である。「決断は一瞬」が大事らしい。カウンターに座り、しばらくぼーっと酒を飲んでいると、背中のほうにあった。
伊丹十三はある時期からサイン(色紙)に「どの花も それぞれの ねがいが あって咲く」と書いたそうだ。これは作家・大佛次郎がよくつかった言葉であり、伊丹のオマージュだそうだ。
男が言葉を持っていた時代がたしかにあったように思うが、いまの男はどうなんだろう? 十三まんじゅうで一息入れて、少し考えてみよう。
From Editors 2
男の定義とは、
知らず知らずのうちに
ストックされるものなのです。
小学校6年生、11歳。その頃の私が通う学習塾に、ひとりの“男”がいました。国語を教えるK先生です。白髪混じりの髪をオールバックにした彼は、よくカラードシャツにレジメンタルストライプのネクタイをしていました。今思うと、洒脱で色気がありました。授業中は生徒用の机に腰を下ろし、椅子に足を置きながらテキストを読み上げます。帰路に着く生徒が店先を通りすぎる中、駅前の中華料理屋でひとりシウマイを食べながら瓶ビールを飲んでいました(ガラス戸越しに見えるのです)。彼には無頼な雰囲気がありました。小学生相手の国語講師であるにも関わらず、言葉はいつも粗野。ただ、彼の話はいつも筋が通っていたし、不思議なことにどこか温かさがありました。
どうやら気に入られていた私は“卒塾”の際に、彼に言葉をもらいます。理由は定かではありませんが、ハンカチにマジックで大きな文字で書かれました。
男は強くなければいけない。やさしくなければいけない。
私が記憶する中で“男の定義”に初めて触れた瞬間です。当時の11歳男子には何の感動も生み出しませんでしたが、今に至るまでの24年間、折に触れて思い出す言葉のひとつとなりました。その間にも、たくさんの“男の定義”に出会ってきたはずですが、私の24年間に馴染んだ定義がハンカチに書かれた2行だったのだと思います。そして、K先生の言葉が“男”としての指針のひとつになった気がするのです。
今号にもたくさんの言葉が並びます。知らず知らずのうちに、頭に、心に、ストックされるひと言があることでしょう。その数行が“男”としての方向性を決める要素になるかも知れません。