建築家の自邸の名作。 Special Contents BRUTUS No.892
Special Contents 建築家の自邸の名作。
家について考えるとき、あるいは、日本の建築史を紐解くとき、誰もが「これぞ名作」という家がある。日本を代表する建築家の自邸に、その「名作」が多いのは、住宅という形式にとどまることのない確固たる思想や理想が詰め込まれているから。多くの人に憧れを抱かせ続ける家の秘密は何なのか。本誌掲載の7軒のうち、webでは3軒を紹介します。
丹下健三
丹下邸/1953年(現存せず)
ピロティが近代建築を体現。クリエイターが集う場にも。
丹下健三が設計した数少ない住宅の一つが、東京・成城にあった自邸。300坪の敷地には塀を設けず、周囲とは築山で緩やかに区切られていた。1階は柱だけのピロティとして、生活空間は2階に持ち上げた構成。階段で上がって中央付近の玄関から入ると、畳敷きの居室が続く。間仕切る襖を開ければ、家中が一つの空間になるような開放的な家だ。2階の外周の欄間部分には透明ガラスが巡り、屋根が浮いているように見える効果が。猪熊弦一郎作の寝椅子や、イサム・ノグチの照明器具「あかり」が置かれるなど、諸芸術が統合された近代建築を実現。家族を育むだけでなく、芸術家やデザイナーが集うサロンとしても機能した。
菊竹清訓
スカイハウス/1958年
名は体と理念を表す。設計思想を体現した家。
メタボリズムを牽引した菊竹清訓が、自身の設計思想を明確に表した自邸。約10m四方の住居主要部を、RC造の壁柱4本によって地上約5mの高さにかかげた。緩やかな屋根がかかり空中に浮かぶような姿は、まさにスカイハウス。居間、食堂、寝室の居住空間には仕切り壁がなく、四周の廊下部分に位置するキッチンや浴室、収納などは「生活装置」として、取り替えが可能な「ムーブネット」と名づけられた。完成後はピロティの下に子供室としてムーブネットを吊り下げる形式で増築されるなど、必要に応じて柔軟に変化。「建築や都市は新陳代謝を通じて成長する有機体」とするメタボリズムの理念を自邸で体現した。
藤森照信
タンポポハウス/1995年
自然と建築の関係を探求する毛が生え出すような家。
「現代建築の中に自然の素材を取り入れ、互いを引き立てるように造りたい」と精力的に設計し続ける、建築史家でもある藤森照信の自邸。草花が屋根と壁の中から毛のように生え出てくる家は、鉄平石で覆った屋根と壁の間に帯状にプランターを取り付け、日本タンポポを植えることで実現。1階は居間・客間・茶室の役割を持つ「主室」と食堂、台所、書斎、2階には個室を配置。庭に面した回廊は木製のガラス戸で仕切り、縁側のような空間としている。洞窟のような空間が好みという藤森は、室内の壁の上部に丸みをつけて天井とつなげ、漆喰で仕上げて柔らかい雰囲気に。ナラの床は、乾燥で生じた隙間に漆喰が詰められた。