「魚離れ」とは言われるけれど。 From Editors No.867
From EditorsNo.867 フロム エディターズ
「魚離れ」とは言われるけれど。
焼肉をはじめとする「肉」の特集は数多の雑誌で散見される定番企画と言っていいが、あらためて資料を求めてみると「魚」に関する特集を組んだ雑誌はあまり見かけない。まず旬がシビアであり取材がしにくいということと、肉といえば牛、豚、鶏、そして羊がせいぜいだが、魚はその種類が無数にあるのでまとめにくいということもあるのかもしれない。
おいしい魚料理の店だけを取り上げても物足らないかと思い、日本人と魚の関係を調べているうちに、縦に横にと、歴史的、文化的に知りたくなり、まずは秋田で300年以上の歴史があるという「掛魚(かけよ)まつり」を取材してみることにした。この祭りは東北に詳しい写真家の田附勝さん経由で、秋田で教鞭をとる芸術人類学の石倉敏明さんに教えてもらった。石倉さんは小誌連載『東京天国』のひとり、中沢新一さんのお弟子さんにあたる。
東京でもいよいよ桜が咲き始めてきたけれど、取材の頃はまだ雪が残っていた。冬の日本海は大荒れである。1月と2月は月に4,5日ほどしか漁に出ることができない。秋田の金浦(このうら)港では、毎年2月4日に、漁師たちがその年に獲れた一番大きな鱈(タラ)を神社に奉納して漁の安全を祈願し、社の中では居並ぶ巨大な鱈を前に、神主が祝詞をあげ、獅子舞や、巫女の舞を奉納する。それにしても鱈がこれほどおいしい魚だとは思わなかった。パサパサと味気のない、つまらない魚だと思っていたけれど、金浦から自宅に直送した鱈を食せば、文字通り身は雪のように白く、ふわっとしているのに噛めば口の中でぶりんとはじけ、淡白で上品な旨味は鱈汁にしてもフライにしてもおいしい。
今年の秋には築地市場が豊洲に移転することになっているが、築地以前は日本橋に魚市場があった。徳川家康が大阪から連れてきた漁師たちに、幕府に魚を奉納させるかわりに独占的な販売権を与え、日本橋の魚河岸が整備されたという。江戸時代の錦絵を見るといまと変わらない魚を扱っているのが面白い。寿司も天ぷらも元は関西からだが、文化として花開いたのはいまの東京湾の魚を使った江戸前の寿司、天ぷらである。門前仲町にある〈みかわ 是山居〉は江戸前天ぷらの名店だがいまの季節は白魚、頭に「三つ葉葵」の紋様を持つこの魚は徳川の将軍様が食べる御用魚であったというが、これも知ると知らないとでは味わいもまた変わってくる。
日本では魚離れと言うけれど、西欧では食される主たる魚は数種だと読んだ。これだけの種類と量を食べている国民はそうない。今回取材した、前述の〈みかわ是山居〉はじめ、気仙沼〈福よし〉の焼き魚、六本木の〈与太呂〉の鯛めしなどは仕事も美しく、たんに味だけではない、日本人の魚に対する思いがそこから見て取れる。魚の語源である「酒肴」とは、つまり惣菜の総称であり。その中から肴の中の肴として、魚(うお)を(さかな)と呼ぶようになったというが、日本人にとっておいしい魚にありつけるというのは、いまも日常における、望外のご馳走といえる。