好きな花の話。 From Editors No.890
From EditorsNo.890 フロム エディターズ
好きな花の話。
帝国ホテルに行ったらロビーに見事な桜が生けてあり、来客の目を楽しませていた。ホテルや百貨店、バーやカフェなどには決まって花を置いているところがある。ちょっと変わったところでは、五反田の焼き鳥『鳥茂』。トイレにはいつも百合の花が飾られている。このことを教えてくれたキュレーターズ・キューブの桝村旅人さんを連れて飲みにいくと、確かに百合の花があった。聞くと女将が近所の花屋で買って自分で飾っているのだそうだ。白百合は受胎告知で天使が持つ花、花言葉で「純潔」を意味する。トイレだからというわけではないのだろうが、どことなく感じのいい花だった。
澁澤龍彦の『フローラ逍遥』という美しい本がある。水仙、椿、梅、菫(すみれ)、チューリップなど馴染み深い花について、その名の言われから逸話まで、美しい図版とともに洒脱な文章で綴られている。似た本に荒俣宏の『花空庭園』があり、その前書きには「澁澤大魔王が〜挿絵に使えるような古い植物図を所持せるや否や、と、著者に下問あったのである。」とある。当時、荒俣さんは植物図譜を持っておらず、これをきっかけに集めるようになったのだそうだ。植物図譜と言えばレヴィ=ストロースの『野生の思考』は表紙に花の図譜が使われている。これはフランス語のパンセ(思考)に由来しており、表紙の花はまさに「野生のパンジー」なのだが、花が表紙の本を集めてみるのも面白いように思えた。
花は写真とも相性が良い。生け花は作品が残らないので写真に残す必要がある。前衛いけ花作家の中川幸夫は土門拳に写真を教わったそうだ。その中川の作品を掲載できることになり喜んだが、なかなか良い色見本がなかったため、銀座のギャラリーで本人が焼いたプリントを見せてもらった。そこには作品集で見たよりずっと艶めかしい「花の死」が写っていた。これは貴重な体験だったと思う。ほかにも長島有里枝さんに花市場を撮影してもらったり、巨匠ジョエル・マイロウィッツ(81歳)に名著『WILD FLOWERS』の話を聞けたことは嬉しい出来事。
花の面白さは見たままなのだから言葉を尽くして説明しても仕方ない。都会でも花は身のまわりの至るところにあるので、少し知るだけで日常もぐっと楽しくなる。花言葉を調べれば、その日出会った野花で簡単に一日を占うこともできる。お金もかからないし季節にも敏感になる。それ以上になにがある? 花の名前を言えるとモテるんだって。本当か? 茨木のり子さんの詩に「女のひとが花の名前を沢山知っているのなんかとてもいいもんだよ」という一節があったけど、きっと花の名前をたくさん知っている男も悪くない。