さよなら、のことば。 Special Contents BRUTUS No.898
Special Contents さよなら、のことば。
大切な人が亡くなった時、人はどんなことばを伝えるだろうか。情感あふれる哀惜のことばもあれば思わず笑みがこぼれるエピソードもある。死者と真正面から向き合い、綴られたことばには魂が宿り、人の心を打つのだ。
パクさんの粘りは超人的だった。会社の偉い人に泣きつかれ、脅されながらも、大塚さんもよく踏ん張っていた。僕は夏のエアコンの止まった休日にひとり出て、大きな紙を相手に背景原図を描いたりした。会社と組合との協定で休日出勤は許されていなくても、構っていられなかった。タイムカードを押さなければいい。
僕はこの作品で、仕事を覚えたのだった。
僕はこの作品で、仕事を覚えたのだった。
高畑 勲«宮崎 駿
日本のアニメーションにおける礎を築いた東映動画の先輩後輩であり、その後多くの作品を生み出した盟友でもある宮崎駿は、高畑勲(愛称パクさん)の葬儀でエピソードを披露。宮崎がアニメーターとして初めて彼と組んだ作品『太陽の王子 ホルスの大冒険』での製作現場の様子についてだ。よく粘り、何枚も始末書を書いて「圧倒的な表現」を生み出した。(高畑勲「お別れの会」開会の辞より)
美しいままに永遠に生きている人です。
原 節子«山田洋次
日本映画の黄金期を支えた大女優の原節子。小津安二郎、成瀬巳喜男、黒澤明といった日本映画の巨匠の数々の作品に出演し、1962年、42歳で引退。その後は取材も一切受けず、隠遁生活を送り、95歳で亡くなった。山田洋次監督は原との面識はないが、彼女のことを「永遠に生き続けてほしい」「神の領域」と述べ、往年の大女優の喪失を嘆いた。(『週刊朝日』2015年12月11日号より)
哲学の部分も水木先生からいただいたものです。生きている根本に水木先生がおられました。水木先生の形成した天体を運行する小惑星なのかもしれません。お亡くなりになりましたことはご冥福をお祈りしますが、まったく水木先生を喪失したつもりはなく今後も僕は水木先生の形成した天体で生きていくと思います。
水木しげる«杉作J太郎
妖怪漫画や戦争漫画などの作品はもちろん、よく眠り、よく食べ、気ままな性格で多くの人に愛され、93歳で大往生を遂げた漫画家の水木しげる。影響を受けた作品の話や、水木の豪快で珍奇なエピソード、「妖怪(あちら)の世界へ行った」という発言が多いなか、漫画家・杉作J太郎の、漫画も哲学も、生きるすべてに水木がいるということばはグッと心に突き刺さる。(『アックス』第109号より)
みっちんは歌だ。だから、肉体そのものとなって、口を開き、体を振動させ、声帯を鳴らせば、いつでもみっちんが途端にあらわれでてくる。これからも死ぬまでずっと歌をうたっていこう、そうすれば何も消えることはなく、ささやかな風と同じように今もこの現実に漂い続けることができる。そういうことを身をもって体験させてもらった。歌は死なない。
石牟礼道子«坂口恭平
熊本を拠点として活動する作家の石牟礼道子と坂口恭平。年齢差がある2人だが、そんなのは関係ない。坂口はたびたびギターを持って石牟礼のもとを訪れ、彼女のことばに伴奏をつけて歌っていたという。体が思うように動かなくなっていた石牟礼だが、坂口が歌うと、それに合わせるように体をくねらせて踊っていたと綴る。歌で2人の魂は響き合ったのだ。(文藝別冊『追悼 石牟礼道子』より)