背表紙の美学。 Special Contents BRUTUS No.907
Special Contents 背表紙の美学。
装幀者・菊地信義さんが手がけた本は15,000点以上。文字、色、紙……細部にまで行き届いた、丁寧な仕事の数々を本好きなら頭に浮かべるだろう。中でも講談社文芸文庫の背表紙が並ぶさまの美しいこと。菊地さんの“背”へのこだわり、国内外の背表紙の変遷を教えて貰った。
1943年東京都生まれ。装幀者。手がけた装幀は15,000点以上。著書に『装幀の余白から』など。菊地さんを追ったドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』が公開中。
Detail1 題名が先か、著者名が先か。
約40年前、講談社文庫のリニューアルにあたり菊地さんが装幀を手がけた。「当時、文庫の背表紙は上に“題名”、下に“著者名”の順番でした。でもお客さんは作家で本を探していると思い、順番をひっくり返したんです」。最初はいろんな人に猛反対されたが、この菊地さんの“発明”は大成功、以降に生まれた文庫の多くはこのスタイルを踏襲している。また、ローマ字表記を 背表紙に初めて加えたのも菊池さんだ。
「最近はとにかく目立つための派手な表紙が多くて、そのデザインをそのまま“背”にも使うせいか、余白のない、忙しいものが多いですね。背表紙が泣いてますよ。文庫やシリーズものの、整った“背”は見ていて落ち着くし、家に置いておきたくもなる。背表紙本来の佇まいの良さというのがあると思うんです」
Detail2 表紙から背表紙へと移動した題簽(だいせん)。
「背表紙の原型は何か知ってる?」と菊地さん。写真の19世紀半ばに作られた左の本には背表紙がない!
「洋装本が入ってくる明治時代まで背表紙はなかったんですよ。和本の表紙に貼ってある紙は題簽というもので、書名と作者が書いてある。背表紙というものを作ろうとなったとき、これを背表紙へ移動させたといわれています。洋装の背表紙に、和本の題簽を合わせる、和洋折衷の発想が日本の背表紙の歴史の始まりなんです」
Detail3 漱石は日本最初のアートディレクター!?
洋装本が日本に入って間もなく、背表紙に題簽を使わない作家が現れた。文豪、夏目漱石だ。「漱石はイギリス留学中に洋装本をいろいろ見たのでしょう。だから題簽は使わず、その代わりに画家の橋口五葉や津田青楓に背表紙を描いてもらっていました」。丸みのある文字はどこか可愛げがあるし、画家が描くだけあってアクセントも秀逸。明治38(1905)年の本だが、ほとんど今の形に近い背表紙のデザインだ。
「漱石は中身の小説だけでなく、本の見た目も大きく変えたんです」
Detail4 昭和初期、背表紙は先端芸術だった。
漱石が画家に装画を依頼したことで、本の世界で活躍する画家、アーティストが増えていく。「漱石のひと世代下の竹久夢二は日本画家でありながら、著作も多く本の装幀もこなして、今でいうイラストレーターのような存在でした。もう一つ下の世代には村山知義がいます。マヴォの一員で前衛芸術家のイメージが強いけど、ロシア構成主義に影響を受けた装幀を手掛けています」。日本画からアバンギャルドなグラフィックまで装幀の百花繚乱時代は、昭和5(1930)年前後が豊作だそう。